毛利正直
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毛利 正直(もうり まさなお、宝暦11年2月7日(1761年3月13日)[注釈 1][注釈 2] - 享和3年8月8日(1803年9月23日))は、江戸時代中期の薩摩藩士、作家[1]。忌み名[注釈 3]は正直。幼名は虎次郎で、通称は治右衛門。法号は秋山常英居士。『大石兵六夢物語』の作者として知られる。
注釈
- ^ 毛利家系図に記載[1]。「毛利正直小伝」は、「薩藩叢書 第四篇」と同書を復刻した『新薩藩叢書3』収録の「称名墓志」や、正直の子孫が所蔵する「毛利家系図」を参考にした記載で、『「さつま」の姓氏』における「常盤流」毛利氏の略系図は「毛利正直小伝」を原典とした記載。
- ^ 「薩藩叢書 第三篇」と同書を復刻した『新薩藩叢書4』収録の「毛利正直伝」では、同年3月7日となっている[2]。
- ^ 本名のこと。
- ^ 正堅の子は正直の姉も含めた2男1女[1]。
- ^ 下から2番目の身分。
- ^ 正興は、寛政2年(1790年)に「毛利家系図」を書き起こす。
- ^ 子供の下男。
- ^ のちの正位。幼少の頃の名は熊次郎[9]。
- ^ 正直の遺児である正位と同じ毛利姓で、現在の常盤町に記されている住人は、この人物だけ。
- ^ ただし、新たな文を挿入して本文の一部も脱文するなど、改訂されている[11]。
- ^ 現代でいう警察官。
- ^
川上親埤 ()だと言われている。 - ^ 生没年は不明。
出典
- ^ a b c d e 鹿児島県高等学校歴史部会 1972, pp. 214–217, 「毛利正直小伝」
- ^ 薩藩叢書刊行会 1971, p. 1, 「毛利正直伝」.
- ^ a b 神崎卓征「加治屋町編4 西郷も読んだ? 兵六の物語」『朝日新聞』朝日新聞、2017年2月6日。2021年1月2日閲覧。
- ^ a b c 鈴木拓也 (2020年1月28日). “何者ぞ?和風キャラメル的お菓子「兵六餅」のパッケージに描かれたふんどし男の謎”. 和樂web. 小学館. 2021年1月2日閲覧。
- ^ “兵六夢物語の碑”. かごしまデジタルミュージアム. 鹿児島市. 2021年1月2日閲覧。
- ^ a b 上野尭史 『鹿児島士人名抄録』高城書房、2005年12月14日、381-382頁。ISBN 978-4887770782。
- ^ 上野尭史 『鹿児島士人名抄録 年表』高城書房、2005年12月14日、113-114頁。ISBN 978-4887770782。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 「第4編 近世編」(PDF) 『鹿児島市史』 第1巻、鹿児島市、1969年2月、468-473頁 。2021年1月2日閲覧。
- ^ 伊牟田經久 2007, pp. 23–25, 「『大石兵六夢物語』の成立と作者」.
- ^ 塩満郁夫 『鹿児島城下絵図散歩』高城書房、2004年12月、192頁。
- ^ a b 伊牟田經久 2007, p. 30, 「『大石兵六夢物語』の普及」
- ^ 川崎大十 『さつまの姓氏』高城書房、2000年3月、802-803頁。
- ^ 伊藤慎吾「連載「歴史の証人-写真による収蔵品紹介-」『大石兵六物語絵巻』について」『REKIHAKU』第106号、国立歴史民俗博物館、2001年5月30日、2021年1月2日閲覧。
- ^ 伊牟田經久「『大石兵六夢物語』の新出写本二種」『研究紀要』第21巻第2号、志學館大学、2000年1月、 183-206頁、 ISSN 13460234、 NAID 40005376791、2021年7月1日閲覧。
- ^ 伊牟田經久 2007, pp. 40–47, 「第二部『大石兵六夢物語』(本文・現代語訳・注) 自序」.
- ^ 丹羽謙治「『夢中の夢』 : 「地獄もの」草紙の地方的展開(読む)」『日本文学』第58巻第6号、日本文学協会、2009年、 48-51頁、 doi:10.20620/nihonbungaku.58.6_48、 ISSN 0386-9903、 NAID 110010027764。
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