死去について
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1966年(昭和41年)1月26日、台東区上野公園の国立美術館にて17世紀フランス名画展に出席。同日夜、銀座のバー「いさり火」に飲みに出かけ、同店の前田美智子(39歳)を渋谷区千駄ヶ谷の彼女の自宅マンション(当時の鷹司邸から徒歩圏)に送り届けてそのまま家に戻らなかったため、1月28日夕方、交通博物館が警察に捜索願を提出した。 1月28日夕方、前田美智子の自宅マンションにて、彼女と共に全裸で死去しているところを発見された。推定死亡時刻は1月27日午前1時から午前5時。同日午後6時に警察は宮内庁に連絡を取り、宮内庁の連絡から和子が平通の死去を知った。29日午前0時に宮内庁から死去が発表された。和子は取り乱すほどの大きなショックを受け、娘の身を案じた昭和天皇は入江相政侍従を鷹司邸へ直ちに派遣。その後、天皇・香淳皇后をはじめ皇族や親族が相次いで弔問に訪れた。 結婚時に注目を集めたことに加え、鉄道通の実直な人物と知られていただけに、死去は世間の関心を集め、1966年1月29日付・1月30日付『ニューヨーク・タイムズ』『ザ・タイムズ』でも1面や2面で大きく報じられた。29日夕方までに警察はストーブの不完全燃焼による一酸化炭素中毒での事故死と判断した。 日本のマスメディアでは『毎日新聞』が「鷹司平通氏が事故死」とだけ見出しに書いて報じるなど、いずれも控えめな扱いであり、毎日のデスクは2人が「素っ裸にガウン」の姿だったと認めつつ「皇室に対するエチケット」として「トップで扱うべきではない、と判断した」と述べた。また、三大紙では『朝日新聞』『毎日新聞』が事故死と報じたのに対し、『読売新聞』は「変死」と報じた。『週刊新潮』もまた「「事故死」を証明するものは何もない」と報じ、死因についても「問題のガスストーブを警視庁から借りてきて、テストしたんですが、不完全燃焼ということはなかった」「事故の起こった部屋の広さと換気率を計算に入れると、そう簡単にガスの不完全燃焼が生じるとは思えない」との東京ガス広報室長の発言を伝えている。
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