死去に際してのエピソード
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/29 16:23 UTC 版)
「輪島大士」の記事における「死去に際してのエピソード」の解説
死去に際して、プライベートでも交流のあったデーモン閣下は「ここ1年くらいは『人に会いたがっていない』ということだった。闘病のためやつれた姿を見せたくないとのことだったので、吾輩も何かの誘いをしたりなどは遠慮していた。気にはしながら見舞状を出したりはした」と明かした。 角界からは、第52代横綱・北の富士(12代九重、NHK専属解説者)、第57代横綱・三重ノ海(14代武蔵川・相撲協会元理事長、相撲博物館館長)、第61代横綱・北勝海(8代八角・理事長)、第62代横綱・大乃国(12代芝田山・広報部長)、現役力士では遠縁にあたる輝、師匠が輪島の日大相撲部の後輩である豊響そして親交のあった白鵬の夫人が弔問に訪れている。 葬儀委員長は、子どもの頃から50年以上の付き合いがあり輪島の現役時代の後援会長であった加賀屋グループの小田禎彦会長が務めた。この人物は角界から離れて以降も輪島を支え続けており、輪島の故郷七尾市に記念館の創設を計画しているとコメントしている。 不祥事での退職に関わる師匠夫人の悲劇もあり、死去に際し相撲協会から正式のコメントは出なかった。しかし、共に現役時代を過ごしたり親交のあった元親方たちが取材に応じている。同時期に横綱を張り引退後も食事をする仲であった第57代横綱三重ノ海の石山五郎は相撲協会時代や不祥事があった当時のエピソードを交えたコメントをしており、その破天荒さを「番外の人」と評した。輪島から7個の金星を獲得した元関脇高見山(12代東関)の渡辺大五郎は「輪島さんは体の大きい私が相手でも逃げない。まともに来るからやりやすかったのかもしれないね。北の湖、千代の富士、輪島……、戦った横綱がどんどん亡くなる。寂しいですよ」と亡き横綱を偲んだ。第52代横綱北の富士は「下手から投げを打つ力士は大成しないと言われていたが、それを破った最初だろう」と評し、「気のいい男」「元気なうちにもういっぺん飲みたかった」と輪島の死を悼んでいる。
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