歴史、逸話
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/01 16:12 UTC 版)
「ムードン (フランス)」の記事における「歴史、逸話」の解説
画像をクリックして拡大 最盛期1704年頃のムードン城 (fr) 旧城箇所の復元3D (Restitution 3D du château-vieux de Meudon à son apogée, vers 1704. Franck Devedjian et Hervé Grégoire, 2012.) 1715年頃のムードン城旧城箇所正面玄関口の復元3D (Vue de l'entrée du château de Meudon, vers 1715. Restitution 3D de Franck Devedjian et Hervé Grégoire, 2013.) ムードン城の新城箇所にある天文台 (Les restes du Château-Neuf transformé en Observatoire. 2014.) ポンパドゥール夫人時代1757年頃のベルビュー城 (fr) の復元3D (Restitution 3D du château de Bellevue vers 1757. État au temps de Mme de Pompadour. Franck Devedjian, 2012.) ムードンには考古学的遺跡群が点在し、新石器時代から人が住んでいたことを証拠づけている。ガリア人たちはこの地を Mole-Dum と呼び、古代ローマ人たちは Moldunum と呼んだ。 ムードンのサン=マルタン小教区の主任司祭職は1551年にフランソワ・ラブレーに任されていた。 16世紀にエタンプ公爵夫人、ロレーヌ枢機卿シャルル・ド・ギーズらが居住したシャトー・ド・ムードン (Château de Meudon) の旧城箇所 (Château-Vieux) は1795年に火事で崩壊した。新城箇所 (Château-Neuf) の遺構は、グラン・ドーファン(ルイ14世の息子)によって建てられたが、普仏戦争で1871年に焼け落ちた。1878年、この新しいほうの城館跡に天文学者ピエール・ジャンサンが天文台を創設し、1927年にパリ天文台の附設となった。 ムードンにはもう一つ城館跡があり、1750年にポンパドゥール夫人のために建てられたシャトー・ド・ベルビュー (Château de Bellevue) があったが、フランス革命で1791年に城主は不在となり1823年に取り壊された。さらに鉄道路線開通のために1940年代にも取り壊しに遭い、現在、テラスと冷蔵室の箇所が遺っている。 ムードンは高級住宅地であり、鉄道網で各地と結ばれている。1842年5月にヴェルサイユ=パリ間の列車の火災事故があったが、当時客車の扉は車掌たちが鍵で閉めていたので、55人が犠牲になった。この事故以来扉は走行中も開いたままでなければならないことになった。この(現実から乖離した)規定事項が消滅したのは2003年であった。あるフランス人司教は「神が人間たちに与えたこの教訓について鉄道に対する天の怒りをこの出来事に見た」と、大きな反響を引き起こした説教を行った。まさに同じ月、ローマ教皇庁はグレゴリウス16世のイニシアティヴで教皇専用列車を導入した。犠牲者の中にはジュール・デュモン・デュルヴィル提督とその家族がいた。また生存者の中にはマルグリット・ユルスナールの祖父がいた(『北の古文書』のなかのレシ=物語)。 フルリの丘の上にガリエラ園という施設が、ガリエラ公爵夫人 (fr) によって高齢者と孤児の世話のために設立された。建物は1885年に建設されたものである。
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