歴史・運営
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2013/08/17 12:28 UTC 版)
「インターナショナル・アソシエーション (野球)」の記事における「歴史・運営」の解説
リーグは1877年に創設され、初代の理事長には後にアメリカ野球殿堂入りしたキャンディ・カミングスが就任した。 当時制定されていたリーグの運用規則は概ね以下のようなものだった。 球団はリーグへの参加費用として10ドルを支払う。 チャンピオンシップへの参加する場合は、上記に15ドルを追加して支払う。 ビジターチームの遠征費として、75ドルを保証する。 ゲームの入場料を25セントに設定する。 当初アメリカ合衆国とカナダのプロ野球チームが8球団参加してスタートし、その実力は1年先に発足していたナショナルリーグにも匹敵するものだったと言われている。しかし2年目の1878年に参加してリーグ戦で優勝したバッファロー・バイソンズや、シラキュース・スターズといったチームが、このリーグでの好成績を糧にナショナルリーグに移ってしまったことで、リーグの権威は下がってしまうことになる。同じ年に主要な球団だったロンドン・テカムセスもリーグから脱退し、リーグは翌1879年から「ナショナル・アソシエーション」(ナショナルリーグの前身にあたる全米プロ野球選手協会とは無関係)とリーグ名を変えて、1880年まで運営された。 1880年以降でインターナショナル・アソシエーションというリーグが存在していたと考えられているのは1888年と1889年の2年間で、これは上記のロンドン・テカムセスに所属し外野手として活躍したパッツィー・ドノバンの選手成績などに基づいている。
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