歌舞伎俳優・俳優として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 00:45 UTC 版)
「中村獅童 (2代目)」の記事における「歌舞伎俳優・俳優として」の解説
19歳の頃、叔父の萬屋錦之助が座長の巡業公演に加わったとき「顔で演じるな、心で演じろ」と言われた。また、俳優として有名になり歌舞伎での役がつくようになったものの「型」が身につかないことを悩んだときに、無名時代から世話になり「兄さん」と慕っていた遠戚の(父の従兄)の五代目中村勘九郎(後の十八代目中村勘三郎)に「獅童は心を入れる芝居ができているのだから、その最大の武器を大切にした方がいい。歌舞伎の型はやっているうちに上手になるから」と励まされた。尊敬する名優2人に『心で演じることの大切さ』を言われたことは、甘えや慣れが出てくるときの戒めにしているという。 映画『ピンポン』に出演した当時は役作りのためにスキンヘッドと強面の風貌だったので、警察によく職務質問された。 NHKテレビ絵本『あらしのよるに』で、獅童は出演する動物三役を1人で演じているが、仕事の依頼を受けたときには配役のうちの一役を演じると思っていたという。獅童の母親は『あらしのよるに』をとても気に入り、絵本の絵を担当したあべ弘士に絵を描いてもらって着物の帯にし、「いつか獅童が出し物(歌舞伎公演での大きな役)をできるようになったら」と歌舞伎化の企画書を出していた。獅童は母親の死後、2015年初演の稽古中に松竹からそれを知らされたという。 2018年10月、フランス・パリでの芸術イベント「ジャポニスム2018」の公式企画として行われた松竹大歌舞伎に出演、同イベントの広報大使で個展「NAKAMA des ARTS」を開催した香取慎吾と再会し、AbemaTV「7.2 新しい別の窓」#8で対談した。この2人は大河ドラマ「新選組!」で共演しており、共演者たちと20年近く毎年忘年会をしているという。香取は2016年、獅童は2017年の忘年会に参加できなかったため、久々の再会が実現したことになる 。 歌舞伎役者としては貫禄があると言われる体型が丁度良く、稽古で自然についてくる筋力もあるためトレーニングはしないが、現代劇の仕事の前には減量のためのトレーニングと食事制限を行うという。そのため、突然決まる仕事があると困ることがあるという。 2021年7月17日、同年9月に有観客で行われる「九月南座超歌舞伎」の製作発表記者会見に出席し、同年4月に幕張メッセで2年ぶりの有観客公演が行われたことについて「マナーのいいファンのおかげ」と感謝を述べた。「声を出さない、マスク着用など、ルールを守って、万全な安全対策のもとにやれば乗り越えていけるのでないかと、一つ一つ証明していく。今はそういう時期に来ているのではないかとも思います。もちろん、世の中の状況に合わせて判断しなくてはいけないこともありますが、超歌舞伎が『こうすれば安全だ』ということを証明していける公演になればいいなと思っています。ファンの皆さんに協力していただくペンライトも超歌舞伎の一つの強みだなと思いました」と超歌舞伎の利点について話している。
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