欠損補助の見直し
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/09 15:09 UTC 版)
1992年(平成4年)末、運輸省では欠損補助の大幅な制度見直しを行うことになったが、一畑電気鉄道に対しては「補助金に甘えている」として、今後経営改善の見通しがなければ補助の打ち切りもありうるという「最後通告」を行った。1993年(平成5年)度に関しては前年とほぼ同額の補助金支給を認められたものの、沿線自治体や労働組合は危機感を募らせた。 労働組合では独自に利用促進を目指した啓発運動を展開したほか、補助金の継続を求めて運輸省に陳情を行った。また、1973年(昭和48年)に結成されていた「一畑電車沿線地域対策協議会」では、1993年(平成5年)度の広告予算をそれまでの年間120万円程度から680万円へと大幅に増額し、新聞の全面広告やテレビCMなどを活用した利用促進活動を行った。島根県や沿線自治体では独自に沿線住民に対するアンケートを実施したが、一畑電気鉄道の存続を問う質問への回答はほとんどが「鉄道は必要」との考えが示されていたことを受け、同社の支援のためには新たな予算措置をも講じる姿勢を見せた。特に平田市では一畑電気鉄道が唯一の鉄道路線であることから、補助打ち切りをもっとも深刻に受けとめており、地域ぐるみの利用促進運動を行った。これら自治体の動きを受けて、一畑電気鉄道ではそれまではどちらか片方だけしか受給できなかった欠損補助と近代化補助を同時に受給することを前提に、1993年(平成5年)11月に経営改善5ヵ年計画を発表した。この内容は、列車増発・駅施設の整備や老朽車両の置き換えを主軸とするものであり、総額5億7千万円にのぼるものであった。 こうした沿線自治体の全面的なバックアップ体制や一畑電気鉄道の企業努力から、運輸省や大蔵省では「結果が出なければ補助金打ち切りもある」としながらも1994年(平成6年)度以降の補助金継続と、欠損補助と近代化補助の併用を認めた。 経営改善計画に従い、同年から1998年(平成10年)にかけて京王電鉄と南海電気鉄道からワンマン運転に対応した冷房付車両を購入し、非冷房の老朽車両は予備車2両とイベント用の2両を残して置き換えられた。また、駅設備の改築も1994年(平成6年)から1997年(平成9年)にかけて進められたほか、それまで1か所しかなかった変電所をさらに2か所増設した。設備改善以外にも、1993年(平成5年)3月からは電車・バス共通の金券式回数乗車券の発売を開始をはじめとした割引乗車券類の充実を行い、運行面でも1998年(平成10年)からは松江温泉と出雲大社前を直通で結ぶ列車が設定された。 しかし、当面の危機的状況からは脱したものの、1994年(平成6年)6月には一畑電気鉄道の社長が「鉄道部門の経営はすでに私企業の努力範囲を超えており、第三セクター化の方向性も検討してほしい」と発言しており、自治体関係者に問題解決の難しさを再認識させられるものであった。 運輸省からの欠損補助は1997年(平成9年)度を最後に終了し、翌1998年(平成10年)度以降は新しい経営改善5ヵ年計画による島根県・沿線自治体の「運行維持補助金」に変更された。
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