欠損・損傷のある人々の場合
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 02:19 UTC 版)
「ルッキズム」の記事における「欠損・損傷のある人々の場合」の解説
「ユニークフェイス」も参照 社会モデルという考え方では、心身に欠損や損傷(円形脱毛症や顔のあざなど)を持つ人が被る不利益の原因は、その損傷自体にあるのではなく、社会の側にあると考えられている。イギリスでは、「外観上の損傷をもつ人々は周囲の否定的反応という社会的障壁によって仕事に就けないなどの不利を被っているのであって、この意味で『障害者』(disabled people by society)である」という考えのもと、ロビー活動が行われ、「障害者差別禁止法」のもとで保護されることになったという。 しかし、社会モデルでは、雇用や法などの公的な問題だけが取りざたされる一方で、個人が内面化した欠損や損傷に対する羞恥心などの私的な領域の問題は排除されてきたとフェミニスト障害学の論者であるC・トーマスは指摘している。つまり、雇用差別のような問題は「差別の問題」として告発することができるが、個人が抱える自身の欠損や損傷に対する否定的な感情はあくまで個人的のものとされ、自身で対処することを迫られるというのである。しかし、「外観上の損傷をもつ人が自身のインペアメント(引用者注:欠損や損傷のこと)に抱く感情は身体的差異に対する否定的な社会的意味づけと不可分な関係にあり」、「その否定的感情は社会が個人に与える結果」なのだから、このような従来私的な領域とされてきた問題も政治的な問題として訴えて行く必要があるとされている。このような議論がなされるのは、「心理的・情緒的次元の問題」こそ、彼らが日常生活の中で遭遇し続ける切実な問題であり、このような従来私的なものとして扱われてきた点に着目することが「社会モデルの実践性を高める」ことにつながりうるからなのだと、社会学者の西倉実季は述べている。欠損や損傷を持つ人々は、周囲の人々の言動によって傷つけられ、その結果自身を無価値な存在として認識することもあるという。
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