機雷敷設艦への改装
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「ゲネラール=アドミラール (装甲巡洋艦)」の記事における「機雷敷設艦への改装」の解説
詳細は「ナローヴァ級機雷敷設艦」を参照 1900年代になると、練習艦として使用されていた「ゲネラール=アドミラール」を水雷輸送船(минный транспортъ)へ改装する計画が持ち上がった。設計は、クロンシュタット港支部で作成された。バルト海の機雷砲兵陣地で運用するため、艦には大きな機雷搭載能力が付与されることになった。 1909年には「ゲネラール=アドミラール」は機雷敷設艦に改装され、艦名も「ナローヴァ」に改められた。改修工事に伴い、排水量は、 4960 t となった。出力 4000 馬力の垂直単式機関 1 基を搭載し、試験の際に記録した速力は 11.4 kn であった。燃料は、 400 ないし 540 t の石炭を搭載した。乗員は 283 名であった。砲熕兵装は大幅に減じられ、カネー式 50 口径 75 mm 砲 4 門と 7.62 mm 機関銃 4 挺だけであった。そのかわりに機雷を多数搭載できるようになり、1912年式機雷で最大 658 個搭載できた。また、のちにマルコーニ式1911年型無線装置も搭載された。 1913年から1914年にかけて、クロンシュタット蒸気船工場においてオーバーホールを受けた。この際、従来の煙管ボイラー(英語版)を 6 基のベルヴィル式水管ボイラーに換装する改修工事を受けた。そのほか、第2船底の床の張替え、機雷庫の改装、スクリューシャフトの修繕が行われた。工事完了後、機雷敷設艦分遣隊に編入された。
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機雷敷設艦への改装
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「ゲネラール=アドミラール級装甲巡洋艦」の記事における「機雷敷設艦への改装」の解説
詳細は「ナローヴァ級機雷敷設艦」を参照 1909年には「ゲネラール=アドミラール」と「エジンブールクスキー公」は機雷敷設艦に改装され、艦名もそれぞれ「ナローヴァ」(Наро́ва)と「オネガ」(Оне́га)に改められた。改修工事に伴い、排水量は「ナローヴァ」が 4960 t、「オネガ」が 4838 t となった。出力 4000 馬力の蒸気機関 1 基を搭載し、速力は 11.5 kn であった。燃料は、「ナローヴァ」が 540 t、「オネガ」が 400 t の石炭を搭載した。乗員は 283 名であった。砲熕兵装は大幅に減じられ、カネー式 50 口径 75 mm 砲 4 門と 7.62 mm 機関銃 4 挺だけであった。そのかわりに機雷を多数搭載できるようになり、1912年式機雷の場合で「ナローヴァ」では最大 658 個、「オネガ」では 283 個搭載できた。 「ナローヴァ」級機雷敷設艦はともに、第一次世界大戦ではフィンランド湾での機雷敷設作戦に従事した。「オネガ」は1914年9月で事実上現役を退き、翌月には繋留廃艦に類別を改められた。最終的に、1930年代に除籍され、解体された。一方、「ナローヴァ」は1924年に「10月25日」(«25 Октября́»)に改名されたのち、独ソ戦の開戦後も1944年まで様々な補助船舶の役目を果たした。港に係留中に船体の漏水が原因で沈没したが、1953年に引き上げられて解体された。
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