権力の絶頂と粛清
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/02 14:30 UTC 版)
「ルキウス・アエリウス・セイヤヌス」の記事における「権力の絶頂と粛清」の解説
29年にローマでリウィアが死ぬ。ティベリウスに匹敵する権威を保持していたリウィアの死後、セイヤヌスとティベリウスは公の場でネロとアグリッピナを攻撃した。結果ネロはポンティア島に、アグリッピナはパンダテリア島に流された。 残ったドルススはアエミリア・レピダと結婚するが、これがドルススの破滅の始まりだった。リウィッラと同じくアエミリア・レピダとも情を通じたセイヤヌスはドルススを罠にかける。30年にドルススはカプリ島からローマへ送られ、パラティヌスの宮殿に幽閉され、兵の監視下に置かれた。さらにセイヤヌスは有力元老院議員であったアシニウス・ガッルスも投獄した。 こうして対立者を排除していったセイヤヌスだったが、ティベリウスはこの頃からセイヤヌスへの疑念を抱き始めていた。しかしそうした考えを表には見せず、逆にティベリウスは自らの同僚として31年の予定執政官(コンスル)にセイヤヌスを指名した。これによってセイヤヌスは騎士階級の職である親衛隊長官であると同時に元老院に議席を得ることになった。 31年にティベリウスとセイヤヌスはコンスルに就任する。元首の同僚のコンスル職は帝政期特別な意味を持ち、セイヤヌスの勢力はこのとき絶頂を迎えた。しかし慣習からコンスルの一方はローマに居らねばならず、カプリ島から動かないティベリウスのためセイヤヌスはローマに釘付けにされた。ローマから動けないセイヤヌスは、それまで掌握していた元首への面会、書簡のコントロールを失い、新たに届くようになった情報でティベリウスはセイヤヌスへの疑念をますます強くした。それでも依然としてティベリウスは表向きはセイヤヌスへの信頼を見せ、全属州を統治するプロコンスル命令権の共有者、さらに向こう5年間の自身と同僚のコンスルとした。 ローマの元首は、非公的な絶大な権威を別とすると、コンスル命令権、プロコンスル命令権、護民官職権を権限の源としていた。このうち特に護民官職権が重要視されたものの、この時点でセイヤヌスは元首の後継者の立場をほぼ手中にしていたことになる。 5月はじめにティベリウスがコンスルを辞任したため、セイヤヌスも辞任した。5月9日に2人の後任となる補欠コンスルが就任した。このうち1名が辞めて、6月1日に補欠コンスルとしてセイヤヌスの仲間ルキウス・フルキニウス・トゥッリオが就任した。10月1日、もう一人のコンスルとしてティベリウスの信厚いプブリウス・メンミウス・レグルスが就任した。 一般的にはこのころ、セイヤヌスはティベリウスへの陰謀を企てたとされる。しかし、この陰謀はサトリウス・セクンドゥスから、ティベリウスの弟大ドルススの寡婦で、ガイウス(カリグラ)など残ったアグリッピナの遺児たちを養育していた小アントニアに漏れる。 彼女はティベリウスに対する陰謀を知るとその全容を手紙に書き、自分が最も信頼する奴隷のパラスに託してカプリ島に向かわせ、通報を受けたティベリウスはただちにセイヤヌスとその一味を捕らえることにした。 10月17日にカプリ島でナエウィウス・ストリウス・マクロがセイヤヌスに代わって親衛隊長官に任命され、書簡を携えローマに送られた。夜に到着したマクロはそのままコンスルのレグルス、消防隊長(praefectus vigilis)のグラエキヌス・ラコらにティベリウスの計画を知らせた。翌18日にパラティヌスのアポロ神殿で元老院が開催される。このとき、セイヤヌスへはマクロから護民官職権が与えられるという書簡の偽の内容が知らされていた。元老院が開かれるとレグルスはティベリウスの書簡の朗読を始める。この間マクロは親衛隊を掌握し、ラコは部下を使いパラティヌスの周辺を封鎖、親衛隊の武力行使に備えた。書簡はこうしたマクロとラコに十分時間を与える長さで書かれており、レグルスの朗読は続いていた。書簡は徐々にセイヤヌスを責める口調を帯びてゆき、その最後で決定的にセイヤヌスを弾劾していた。朗読の直後元老院議場は喝采に満ち、セイヤヌスは拘束されてその日の夜に絞首刑に処された。死体はゲモニアの階段で市民の侮辱を受けた後、ティベリス川に捨てられた。彼の彫像はすべて破壊され、青銅貨などに対して記録抹殺刑が行われた。 タキトゥスの『年代記』にあったこの件を記録した部分は現在失われており、上記の詳細についてはカッシウス・ディオの『ローマ史』によるところが大きい。
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