権力の頂点へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/06 23:51 UTC 版)
「アントニオ・ロペス・デ・サンタ・アナ」の記事における「権力の頂点へ」の解説
ペドラサ大統領は議会を招集し、1833年4月1日、議会はサンタ・アナを大統領に選んだ。サンタ・アナ大統領はバレンティン・ゴメス・ファリアスを副大統領に任命し、彼に国家の統治を大幅にゆだねた。 ファリアスは自由主義的な改革を実行し、軍とローマ・カトリック教会にほぼ対立した。ローマ・カトリック教会はメキシコの国教であった。法的な義務としての十分の一税の廃止、教会財産と財源の没収のような改革はメキシコの保守派の間に懸念を起こした。1834年、サンタ・アナは民兵の縮小を命じ、議会に物議をかもした法律Ley del Casoを廃止することを示唆した。この法律の下で多くの反対派が国外追放になってきた。 1834年5月24日に刊行された「クエルナバカ綱領」は、自由主義改革の廃止を呼びかけていた。 6月12日、サンタ・アナは議会を解散し、「クエルナバカ綱領」を受け入れる決定を発表した。サンタ・アナは新しいカトリック、中央集権、保守政府を組織し、「1824年憲法」を「1835年『シエテ・レイェス』(スペイン語で「七法典」という意味) 」として知られる憲法上の文書に変更した。サンタ・アナは議会を解散し、権力を一元化した。政権を軍による独裁にもどした。 変更にたいして、いくつかの州は反対を公にした。コアウイラ・イ・テハス州 (北部はテキサス共和国になる), サン・ルイス・ポトシ州、ケレタロ州、ドゥランゴ州、 グアナフアト州、ミチョアカン州、ユカタン州, ハリスコ州、ヌエボ・レオン州、タマウリパス州、 サカテカス州の諸州である。これら州の中には独自の政府を持つものいた。リオグランデ共和国、ユカタン共和国そしてテキサス共和国がそれである。テキサスのみサンタ・アナを破り、独立を維持した。彼らのすさまじい抵抗はサンタ・アナが破った敵に対して行う報復措置によって煽られたかもしれない。 『ニューヨーク・ポスト』は社説で、 「サンタ・アナが反乱軍を寛大に優しく処遇しなければ、群衆の反乱軍支援の冒険的で情熱的な精神に駆り立てられているテキサス人民への総合的な同情を彼らに気づかせることは不可能なものにはならないが困難なものになるであろう」 と述べた。 サカテカス州の民兵は、最大で最善の装備をしていた。フランシスコ・ガルシアに率いられ、口径753のイギリスの「ブラウン・ベス」マスケット銃とベイカー61ライフルを装備していた。 それにもかかわらず、1835年5月12日の戦闘の2時間後、サンタ・アナの作戦軍はサカテカス州民兵を破り、3,000人ちかい捕虜を得た。サンタ・アナは自身の軍に48時間の略奪を許可した。サカテカス州撃破後に、彼は反乱の鎮圧のためにコアウイラ・イ・テハス州に移動した。そこはアメリカ合衆国からの入植者(aka Texians)の支援を受けていた。
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