権力の掌握と改革
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/18 04:07 UTC 版)
紀元前207年、マンティネアの戦いでスパルタ王ペロプスの後見人マカニダスが敗死し、ナビスはその後任に就いた。しかし、ナビスはエウリュポン朝の王デマラトスの子孫を自称してペロプスを廃位し、紀元前206年に処刑した。こうしてナビスはスパルタの支配者の地位に着き、王を称した。しかし、リヴィウスやポリュビオスは彼を王とは呼ばず、僭主と呼んでいる。 権力を掌握したナビスは、紀元前3世紀末の改革者クレオメネス3世の路線を取った。彼は裕福者を追放して彼らの土地の再分配を行い、多くの奴隷を解放して市民階級に上げた。こうした市民の増大は兵力の増大を意味しており、彼のスパルタ再興のための布石であった。他方、ナビスについてリヴィウスとポリュビオスは軍事力と残虐さによって権力を掌握した血に飢えた暴君として言及しており、例えばポリュビオスはナビスの支持者を「殺人者の集団、夜盗、すりと追いはぎ」であるとか(ポリュビオス、『世界史』、13、6)、追放された裕福者の妻を山賊や元奴隷と結婚させた(ibid、13、6-7)と述べている。
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