権力の座からの転落
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/09 05:40 UTC 版)
「アブドゥル・ハリス・ナスティオン」の記事における「権力の座からの転落」の解説
ナスティオンの力添えによって大統領の地位にまで上り詰めたにもかかわらず、スハルトはナスティオンを政治的ライバルと見なし、彼を追い落とそうと画策しはじめた。1969年、ナスティオンは SESKOAD と陸軍学校での演説を禁じられた。1971年、ナスティオンは55歳の定年まであと2年を残した53歳で、突然軍籍を剥奪された。1972年には MPRS の議長職も失った。1971年の国会選挙で選出された新議員が MPRS の構成議員となり、その新議長にイダム・ハリド(ナフダトゥル・ウラマー総裁)が指名されたからである。 このような劇的な転落のため、ナスティオンは「政治のルンペン」(Gelandangan Politik) というあだ名をつけられた。
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