権力の失墜
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/10/26 17:29 UTC 版)
「ニコライ・クレスチンスキー」の記事における「権力の失墜」の解説
ロシア内戦におけるボリシェヴィキの勝利の後、1920年末から21年初めまでクレスチンスキーは、国の進むべき方向について益々激しくなる論争において、レフ・トロツキー派を支持した。1921年3月、第10回党大会においてウラジーミル・レーニンが勝利した後、クレスチンスキーは政治局、組織局、書記局のポストを失い、駐ドイツ大使となった。このポストは、この当時ドイツとの関係がソビエト・ロシアにとり決定的かつ微妙なものであったために、重要かつ機密にかかわるものではあったが、彼の以前のポストほどではなかった。 クレスチンスキーは1923年から27年初めまで、トロツキー及び左翼反対派を支持していたが、1927年末にトロツキーから離れた。彼は1928年4月には完全に、反対派と袂を分かった。
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