桶の歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/27 22:12 UTC 版)
木で作る円筒形容器の最古の形態は、木の幹を刳(く)り抜いた「刳桶」で、古くは弥生時代の遺跡からも出土する。続いて「曲桶」が発明され、平安時代には一般に広まった。これは、「曲物」(まげもの)とも呼ばれ、薄い板を円状に曲げ密着させたものであった。当初は麻糸をしまうための笥として用いられたとも言われ、「麻笥」「麻の笥」と書く古い表記も存在する。しかしこれらは強度的に弱く、またあまり大きなものは作れなかった。 中国から輸入された桶に影響を受け誕生したものが「結桶」(ゆいおけ)と呼ばれる、現在[いつ?]まで続く木製の桶である。直径に合わせて湾曲した刃を持つ特殊な道具でヒノキ、スギなどを割って細長い板にして円状に並べ、竹などを螺旋状に束ねた「箍」(たが)で巻いて締める結物構造となっている。「棺桶」も元々は、このような製法による座棺をイメージした言葉であった。 大型の桶は、日本酒や味噌、醤油の醸造に使われた。第二次世界大戦後はプラスチックや琺瑯、金属製タンクでの醸造へ切り替えが進んだが、現代でも木桶仕込みにこだわる醸造元も多い(醤油「角長」、八丁味噌や日本酒などの老舗蔵元)ほか、新政酒造(秋田市)のように木桶へ回帰したり、剣菱酒造(兵庫県神戸市)のように木製酒造用具を自作したりする酒蔵もある。 日本酒業界では、桝一市村酒造場(長野県小布施町)が2000年代、各地の蔵に保管されていた酒桶の再利用を呼び掛け、30軒ほどの蔵元が賛同した。だが新注する蔵は少なく、醸造用の大型桶を作れる数少ない企業である藤井製桶所(大阪府堺市)は廃業を考えていた。しかし2014年から青島桶店(静岡県藤枝市)の後継者が弟子入りし2020年まで修行した後独立、現在藤井製桶所が唯一一人前として認めた桶屋として奮闘している。 木桶は雑菌による腐造リスクがある半面、うまみや香りが増すメリットがある。また、呼称は「樽」であるが、世界最大の木樽はフンドーキン醤油(大分県臼杵市)で使われている。 日用品としての桶は江戸時代、多くの家庭に常備されるようになった。この桶は江戸時代の食料などの保存・運搬に多大な影響を与えた。防火用に雨水を貯めておく天水桶は、寛政以降に一般化した。 現在[いつ?]日本では運搬や保存の用途で木製の桶が用いられる機会は減り、プラスチック容器にとって代わられた。現在日常的に用いられるのは風呂桶(バスタブ)や湯桶(ゆおけ。用途によっては洗面器とも)などである。広告媒体を兼ねて銭湯に置かれるケロリン桶が有名である。 また、楽器としてもパーカションの一種として使われ、檜製の湯桶を裏底を表にして棒等の支えを裏に取り付けて、パーカッションセットに組み込んでいる。裏底をドラムの様にドラムスティックで叩いて音を出す。たまの石川浩司が演奏していたことで知られている。
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