東西宮廷の対立と西ローマ皇帝の廃止とは? わかりやすく解説

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東西宮廷の対立と西ローマ皇帝の廃止

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/26 13:43 UTC 版)

西ローマ帝国」の記事における「東西宮廷の対立と西ローマ皇帝の廃止」の解説

ホノリウステオドシウス1世によって西方任され当初から、西方皇帝は複雑で困難な状況直面しなければならなかった。ホノリウステオドシウス連れてきた皇帝であって西ローマ帝国宣言され皇帝ではなかったので、ホノリウス西ローマ帝国伝統的な勢力からは攻撃さらされることになった。さらにホノリウスマケドニアダキア統治巡って東帝アルカディウスとも争うことになった。両管区エウゲニウス時代までは伝統的に西帝担当とされていたのだが、東帝テオドシウス1世西帝エウゲニウスとの争いの中で両管区支配下に置き、以後そのまま東ローマ帝国実効支配続けていた。西の宮廷は両管区返還求めていたが、この問題東の宮廷は敏感に反応したゴート人アラリック西ローマ帝国略奪働き東ローマ帝国へと逃亡する西方軍司令官スティリコアラリック追撃したが、これに対し東の宮廷は「それ以上追撃東方への侵略とみなす」と警告してアラリック逃亡手助けした。また397年には東の宮廷の官僚エウトロピウス英語版)がアフリカ軍司令官のギルドー(英語版)を唆しローマへ供給されるはずだった食料コンスタンティノープルへ横流しさせるという事件も発生した同時にホノリウス蛮族とりわけヴァンダル族東ゴート族)の侵入にも悩まされ410年には西ゴート人によって首都ローマ掠奪された(ローマ略奪)。このとき西ゴート人率いていたのは前述アラリックだった。 ウァレンティニアヌス3世時代には状況は更に複雑になった。438年発布された「テオドシウス法典」は東帝テオドシウス2世西帝ウァレンティニアヌス3世との連名発布され理念上はローマ帝国東西が一体であることを強調するものであったが、テオドシオス法典発布後、実際にローマ法ローマ帝国東西徐々に分裂始めた現実問題として、東方ではローマの法が実施されなくなり同様に西方でもコンスタンティノープルの法が実施されなくなった450年テオドシウス2世没すると、東ローマ帝国ではゲルマン人将軍アスパルウァレンティニアヌス3世無断マルキアヌス皇帝の座に据えたが、ウァレンティニアヌス3世452年頃までマルキアヌス正式な皇帝として承認与えなかった。こうした東西宮廷分裂加えて皇帝そのものにも更なる分割加えられた。440年レオ1世ローマ教皇となるとグラティアヌス以前には皇帝名乗っていたポンティフェクス・マクシムス称号教皇名乗るようになり、皇帝に代わって教皇帝国における宗教祭礼最上位保護者として神法遵守監督するようになった。さらに445年にはウァレンティニアヌス3世によって「教皇承認したこと、あるいは承認するであろうことは全て万民にとっての法となる」とも定められた。こうした特権付与積み重ねられていった結果教皇帝国代表者として、452年にはフン族と、455年にはヴァンダル族と、591年および593年にはランゴバルド族と、それぞれ皇帝無視したまま単独交渉を行うようになったいずれにせよ教皇5世紀末までには西方において皇帝同等役割をこなす存在となっていた。軍事の面においても帝国重要な役割果たしていたのは皇帝ではなくアエティウスのような蛮族出身将軍たちであった。そしてアエティウス将軍活躍支えていたのも、皇帝指揮系統属す正規ローマ軍団ではなく、ブッケラリィと呼ばれる将軍私兵たちであった西ローマ帝国において、皇帝の果たす役割限りなく小さなものとなっていた。 ゲルマン人将軍リキメル帝国実権握った時代になると皇帝不在のまま放置されることすらあり、もはや西ローマ帝国では皇帝傀儡としてすら必要とはされていなかった。 475年東ローマ皇帝レオ1世によって送り込まれユリウス・ネポス軍司令官オレステスによってラヴェンナから追放されオレステス息子ロムルス・アウグストゥルス皇帝であると宣言された。ネポスダルマチアへと亡命しいくつかの孤立地帯においてユリウス・ネポス支持する勢力活動続いたものの、ネポスにせよアウグストゥルスにせよ、西ローマ帝国全域における皇帝支配権はとうに失われていた。

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