東映アダルト路線
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岡田は1970年代後半から「宇宙戦艦ヤマトシリーズ」の劇場アニメや、角川映画など他業種とコラボし、メディアミックスを進めて、日本映画の幅を広げてきたが、大島渚らと討論会を行った1982年5月29日の朝日新聞朝刊誌上で「ヤング映画を軸にして大人の映画を作っていきたい」と話し、「アダルト映画」に切り換えていきたいという構想を持っていた。1986年5月9日の読売新聞朝刊「論点」では「映画人口回復へ国際化など推進」という提言を寄稿し、その一つとして「映画の作り手の問題だが、最近の映画はアニメ、アイドル映画が全盛で、正月、春休み、夏休み期は、ヤング向け作品に映画館が席巻され、大人の見る映画がないとファンにお叱りを受けている。もともと映画は若者が客層の主軸を占めるものではあるが、大人にも受け入れられる作品を製作する必要がある。大人の映画を当てないとやはり新しい溝口健二も黒澤明も小津安二郎も育ってこない」などと話した。東映は1980年代に入り『青春の門』や『ザ・レイプ』といった大人向けの映画を製作し、1982年の五社英雄監督『鬼龍院花子の生涯』の大ヒットにより、次々に宮尾登美子作品を映画化しこの路線で大きな柱ができた。岡田が「アダルト」という言葉をマスメディアで口に出したのは『鬼龍院花子の生涯』製作中の1982年2月で、宮尾に続き目を付けたのが渡辺淳一だった。また『ひとひらの雪』製作中の1985年に深作欣二と高岩淡が檀一雄原作の『火宅の人』の製作を岡田に訴えたら「いまのウチならもってこいや」とこれも製作を即決した。 「東映アダルト路線」は「大人の鑑賞に耐える映画」を強調し、岡田が企画段階から参画してその良し悪しをジャッジし、宣伝などについても細かく指示を出した。総原価6、7億円をかけ、配収7、8億円を狙うという基本が打ち出された。「アダルト路線」は、宮尾作品、渡辺作品、ヤクザ映画、「極道の妻たちシリーズ」、吉永小百合主演映画、今村昌平監督作品などを指し、途中不振作品も出たが、1990年頃までこの路線を続け実績を残した。今日「アダルト」というとAVの急速な普及によって性的なニュアンスが含まれるが、1980年代までは「アダルト」は大人を示す一般的な語で、成熟した大人の価値観と結び付けられていた。
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