東映の重役スターにとは? わかりやすく解説

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東映の重役スターに

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/02 13:36 UTC 版)

市川右太衛門」の記事における「東映の重役スターに」の解説

戦後GHQ占領政策によりチャンバラ映画の製作規制されたため、他の時代スターと同様、現代劇にも出演するようになった1949年昭和24年)秋、大映退社し東横映画移籍する。翌1950年昭和25年)、『旗本退屈男捕物毒殺魔殿』で、『旗本退屈男シリーズ復活する1951年昭和26年)、本格的な時代劇製作解禁時代となり、東横改組して東映設立される。右太衛門東映創立参加し片岡千恵蔵と共に重役千恵蔵植木取締役、右太衛門浅井取締役兼任スターとなり、興行価値の高い主演映画多数製作した。右太衛門北大路住んでいたことから「北大路御大」と呼ばれた一方千恵蔵山の手嵯峨野、『旗本退屈男まかり通る』では「太秦高台」と表現されている)に住んでいたことから「山の御大」と呼ばれていた)。 東映の2本立て興行体制もあって、東映入社以来1963年昭和38年)までの12年間、年平均9作のペースで右太衛門主演時代劇作られた。東映でも『旗本退屈男シリーズ18製作され主演300記念映画も『旗本退屈男』だった。ほか、『大名シリーズ、『赤穂浪士』(1956年)の大石内蔵助役などでも活躍したこの頃同時代活躍した時代劇スター達は、脇役転身していったが、右太衛門あくまでも主役こだわり続けていた。 時代劇映画斜陽化ていった1960年代東映任侠映画路線変更を図る中、右太衛門映画出演1964年昭和39年)の『忍び大名』(『大名シリーズ一作)を最後に途絶え東映歌舞伎等の舞台活路見出すうになる同年、『徳川家康』(NET製作)でテレビドラマに初主演。ほか、1973年昭和48年)の『旗本退屈男』で早乙女主水之介演じたり、次男北大路欣也主演時代劇特別出演したが、テレビドラマは「せわしない」とあまり好んでいなかったため、数本しか出演していない。 1966年昭和41年)、東映から「取締役から相談役退いて欲しい」という打診を受け、「時代変わったこれ以上ここにいれば(北大路)欣也を縛り付ける事にもなりかねない」と考え東映退社退社後は京都引き払い東京一番町マンションに居を移し舞台中心に活躍。齢80過ぎてもなお主役を張り続けた

※この「東映の重役スターに」の解説は、「市川右太衛門」の解説の一部です。
「東映の重役スターに」を含む「市川右太衛門」の記事については、「市川右太衛門」の概要を参照ください。

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