東映のその後の動きとは? わかりやすく解説

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東映のその後の動き

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 01:23 UTC 版)

B級映画」の記事における「東映のその後の動き」の解説

東映はその1956年警視庁物語シリーズスタートさせた。上映時間60前後モノクロ、ドキュメンタリータッチ、そしてスター俳優無くロケーション中心アップテンポな展開で、1956年2月18日公開の「逃亡5分前」から以後1964年行方不明」まで24本が製作された。歯切れのいい畳み込むようなテンポ新鮮な画面生まれて、後に1961年東映製作して当時NET(現テレビ朝日)で放映され日本初1時間テレビ映画特別機動捜査隊」に受け継がれていく。そして1964年に製作終了後には再編集して1時間テレビ番組として放映されている。 東映1960年第二東映設立して配給系統を2ルートにして、時代劇路線時代劇路線とを区分した。この時に第二東映では本編1本と60前後のほとんどB級と言っていい映画組み合せた上映システムをとったが、なにしろ製作本数が倍になるだけに、余りの製作本数現場がついてこれず粗製乱造と言われ翌年11月には第二東映無くなった。そしてこのあたりから、長編2本の二本立て興行常態となり、他の各社も同じ形態になってB級映画ジャンル分けされる作品姿を消した。そして時代テレビ映画作る時代迎えることとなった。それはほぼアメリカ同じよう経過辿ったことになる。 ただしこの量産時代時に余りの製作現場混乱で、同時に撮影されている中で脇役俳優1日に2~3本掛け持ち出演することが多く、そこで役者スケジュールダブリ(このダブリ他社映画出演もあった)を防ぐため、製作主任集まって調整する作業を行う中で、同時に撮影している作品ランク分けして、AランクBランクCランクとして、「Aランク=多少予算かかって勝負賭け映画」「Bランク=通常の映画」「Cランク=出来はどうであれ公開間に合えばいい映画」に分類してランクの高い順から調整していったとされている。この製作する側で「勝負賭け映画」「通常の映画」「出来はどうであれの映画」にランク分けしていたとは興味深い話ではある。ただし、この用法あるよう三分法B級映画という言葉にはあてはまらないC級映画という言葉原則用いられず(もちろん、Z級というような言葉まで用いるのも論者の自由ではあるが)、B級映画中規模クラスから最低ランクまでは含めた、かなり広い概念である。

※この「東映のその後の動き」の解説は、「B級映画」の解説の一部です。
「東映のその後の動き」を含む「B級映画」の記事については、「B級映画」の概要を参照ください。

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