村発足後
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1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、元箱根(町や村はつかない)の区域をもって元箱根村が成立。箱根駅、元箱根村および芦之湯村は、「箱根駅外二ヶ村組合」にて行政を行う。 1911年(明治44年)7月 - 芦ノ湖遊覧船が運航開始。 1938年(昭和13年) - 「石造五輪塔(俗称虎御前之墓)一基「永仁三年十二月日」ノ刻銘アリ」および「石造五輪塔(俗称曾我兄弟之墓)二基」が、重要美術品等認定物件に認定される。 1953年(昭和28年)8月29日 - 「石造五輪塔(俗称虎御前之墓)一基「永仁三年十二月日」ノ刻銘アリ」および「石造五輪塔(俗称曾我兄弟之墓)二基」の重要美術品等認定物件認定が解除され、新たに「五輪塔」として重要文化財に指定される。 ウィキソースに箱根町、元箱根村および芦之湯村を廃し、箱根町を置く件の総務省告示文があります。 1954年(昭和29年)1月1日 - 箱根町外二ヶ村組合の箱根町、元箱根村および芦之湯村が合併して、新たに箱根町となる。
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村発足後
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1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、芦之湯(町や村はつかない)の区域をもって芦之湯村が成立。箱根駅、元箱根村および芦之湯村は、「箱根駅外二ヶ村組合」にて行政を行う。 1904年(明治37年) - 宮城野-芦ノ湖畔に人力車道(後の国道1号)が開通する。 1920年(大正9年)4月1日 - 現在の国道1号が、一級国道1号に指定される。 ウィキソースに箱根町、元箱根村および芦之湯村を廃し、箱根町を置く件の総務省告示文があります。 1954年(昭和29年)1月1日 - 箱根町外二ヶ村組合の箱根町、元箱根村および芦之湯村が合併して、新たに箱根町となる。 町村制の下、芦之湯村は非常に規模が小さく、当時の制度による公民が極めて少なかったため(1932年当時の公民は11人)、村会に替えて公民全員による町村総会が設けられていた。町村制下においては唯一の例であり、現行の地方自治法においてもかつて八丈小島にあった東京都宇津木村(現八丈町)に設けられていた1例があるのみである。
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村発足後
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1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、仙石原村が成立。大字は編成せず。同時に所属郡が足柄上郡から足柄下郡に変更された。 1891年(明治24年) - 上湯・下湯に温泉旅館が建ち、観光開発が始まる。 1896年(明治29年) - 水飢饉により、地元民が箱根用水の水確保のために設けられていた湖尻逆川堰止めを破壊する「逆川事件」が発生し、芦ノ湖の水利権訴訟が始まる。 1898年(明治31年) - 大審院が「逆川事件」の訴えを棄却し、芦ノ湖の慣行水利権は静岡県深良村外6か村水利組合が有することとなる。 1904年(明治37年) - 「耕牧舎」責任者の須永伝蔵が死去し、「耕牧舎」は営業を廃止。350町を仙石原村に寄付する。渋沢と増田は、大涌谷の温泉を利用し、仙石原の再開発を計画した。 1912年(明治45年) - 大涌谷から俵石までの引湯工事が行われる。 1914年(大正3年) - 俵石閣が開業する。 1917年(大正6年) - 富士屋ホテルの山口正造が、ゴルフ場(後の富士屋ホテル仙石ゴルフクラブ)を開設する。 1930年(昭和5年)9月17日 - 耕牧舎関係者と大倉組代表者が発起人となり、箱根温泉供給株式会社が発足。大規模な給湯がはじまり、大涌谷から仙石原へ造成温泉が引湯される。 ウィキソースに湯本町、温泉村、宮城野村、仙石原村および箱根町を廃し、箱根町を置く件の総務省告示文があります。 1954年(昭和29年) - 温泉造成用水をイタリー水源からポンプアップし、安定した温泉供給が可能となる。 1956年(昭和31年)9月30日 - 足柄下郡湯本町、温泉村、宮城野村、仙石原村および箱根町を廃し、その区域で箱根町となる。
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