村社会化する協力隊隊員
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「青年海外協力隊堕落論」の記事における「村社会化する協力隊隊員」の解説
石橋が赴任した当時、ホンジュラスには約100名の協力隊員がいた。首都テグシガルパは隊員が多く、隊員同士が固まって住んでいる「日本人アパート」と呼ばれる場所もあった。 任期中には、隊員総会、歓迎会、送別会、各地の支部会、その他の同期隊員の集まりがあり、「否応なしに日本人社会の中に組み込まれることを強要される」とした。「隊員が人とはちょっと異なることをすると、すぐに噂となって協力隊ムラの中に広まる」と述べている。背景として、協力隊の隊員は仕事が無く、暇を持て余しており、他の隊員の活動や行動を気にしてしまう傾向にあるとした。 石橋は、朝日新聞に投書したことで同期の隊員から強く非難を浴びたと回顧している。そのことについて石橋は以下のように総括している。 日本人社会のことを書いたこと自体、その社会からの逸脱を意味する。それに対して、私は日本人の村社会の制裁を受けたのだ。 — あえて書く青年海外協力隊堕落論『新潮45』1994年(平成6年)6月号、64ページ そして、協力隊員とJICA職員が作り上げた村社会が批判を封じ、国際協力の利権が官僚たちの天下り先となり、元協力隊員やJICA職員たちもそれに群がる構図ができているとした。石橋はこの状況を以下のように表現した。 国内ですでに築かれた青年海外協力隊のイメージ、それを鼓舞する報道と宣伝、本当のことを言わない隊員たち、ODAの甘い汁に擦り寄って来る隊員OB。現実との間に大いなるギャップがありながらも、協力隊の美談はこうして内と外から守られるわけである。 — あえて書く青年海外協力隊堕落論『新潮45』1994年(平成6年)6月号、64ページ
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