李氏朝鮮時代まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 18:48 UTC 版)
「朝鮮民主主義人民共和国の鉱業」の記事における「李氏朝鮮時代まで」の解説
朝鮮半島では広く砂金が産出し、古代から容易に採取されていた。李氏朝鮮において鉱山は国有化され、私有化は厳しく規制されていた。官によって金、銀、銅、鉄、鉛や硫黄、珠玉などが採掘され、貨幣の鋳造や武器および農器具の生産などに用いられた。しかし世宗は金銀鉱山の開発を禁止したと言われるなど、歴代の王朝は開発に消極的だったとされる。文禄・慶長の役で朝鮮に侵攻した加藤清正は、咸鏡南道端川郡の檜億銀山で銀を製錬し、豊臣秀吉に献上したという。 官主導の開発では採掘の賦役を課された農民の抵抗運動が起こり、また供給が不足がちとなり農器具製造のための盗掘が多発するなど、さまざまな問題が生じていた。18世紀末から19世紀前半にかけて、主に金銀の鉱山について民間人が経営の許可を得る事が可能になった。19世紀後半になると西欧の列強などから鉱業の開放を求める圧力が強まり、1896年に鉱業特許制度が実施されると、同年にはアメリカ人グループが平安北道雲山郡で、ロシア人グループが咸鏡北道慶源郡で、それぞれ金山などの開発権を取得している。また、1901年には金・銀鉱を中心に重要な51か所の鉱山が皇室直営となっている。なお同時期には、1897年の金本位制への移行や産業革命の資本蓄積のために日本が金を大量に必要としており、1887年には日本国内で産出された金49万円に対して朝鮮半島からの輸入した金は139万円に上る。 日本やフランス、ドイツなど様々な国が、特に金鉱に興味を示して開発の特許を得ていったが、一方で卑金属や石炭の開発に対する関心は低かった。これらの鉱山からは特許料と税金が皇室に毎年納められたが、漏税がはなはだしく、国家財政の改善は進まなかった。1905年に日本によって設立された韓国統監府は、翌1906年に朝鮮鉱業法を公布した。これによって、朝鮮皇室直営の鉱山のうち25か所が、統監府の所有に漸次移行された。また、朝鮮人と日本人以外の外国人にも鉱山経営を開放し、1908年には鉱業用機械の輸入や鉱石の輸出にかかる関税を免除したが、この方針は資本や技術面で劣勢な日本人鉱業家の強い反発を受けた。
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