李氏朝鮮時代の文化財の渡来について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/18 16:11 UTC 版)
「朝鮮半島から流出した文化財の返還問題」の記事における「李氏朝鮮時代の文化財の渡来について」の解説
「高麗仏画」、「倭寇」、および「朝鮮の仏教#李氏朝鮮時代の仏教弾圧」を参照 韓国では、日本にある高麗仏画の多くは倭寇など日本が略奪したものだとしている。また対馬仏像盗難事件で対馬の観音寺から盗まれた「観世音菩薩坐像」も根拠なく倭寇に略奪されたものだから返還しなくていいと韓国仏教界などは主張している。韓国側の返還拒否の根拠として「日本は仏像を盗んだというが、それ以上に我が国の文化財を大量に略奪してきたではないか。『返せ』というなら、まずはそちらから返すのが筋だ」という主張がなされている。 他方、日本では、李氏朝鮮が仏教を弾圧したため日本に流出したものだとしている。日本の高麗仏画には由来に豊臣秀吉の朝鮮征伐の際の戦利品と書かれてあるものもあるが、この由来書について上垣外は疑ってかかる必要があり、当時は分捕り品とした説明した方がかっこいいこととされていたことも考慮する必要があると述べている。李氏朝鮮政府は仏教弾圧政策をする一方で、高麗仏画は日本に高価で取引されるため貿易品として輸出したり、また日朝親睦のため贈答したこともあった。上垣外は日本と朝鮮のあいだは戦争の歴史であったとみると歴史認識が歪むと指摘したうえで、そうした認識から、日本に朝鮮の文化財があると秀吉の軍隊が略奪したものに違いないと断定することになるが、秀吉の軍隊が略奪したものの多くは書籍であったし、略奪品として日本に来た物もあるが、平和的な交流のなから贈り贈られてきた物や貿易で入ってきた物もかなりあるとして、すべてを略奪品とみなす見方を批判している。 対馬仏像盗難事件で盗まれた2体の仏像について郷土史家の永留久恵は、「交易でもたらされた品と考えるのが最も適切だ」と反論しており、対馬島主らは真珠や水銀を贈るかわりに高麗から仏像や経典を受け取っていたし、海神神社の仏像が渡来したのは倭寇の時代よりも以前であったことを指摘している。また倭寇も高麗末期に関しては大半が高麗の住民で、対馬の島民らではないことが朝鮮王朝の正史朝鮮王朝実録にも記載があり、倭寇を日本人の海賊と短絡する見方を批判している 日本共産党の衆議院議員(当時)石井郁子は韓国の返還運動に答えるべきであり日本にあるすべての朝鮮由来の文化財の調査を実施すべきであるとして、そのなかに豊臣秀吉の朝鮮出兵時に日本に持ち帰った文化財についての調査も含めた。 李氏朝鮮の文化財の渡来経路韓国の主張日本の主張日本にある高麗仏画や朝鮮由来の仏像の多くは倭寇など日本が略奪したものである。 日本に朝鮮の仏画があるのは李氏朝鮮が仏教を弾圧したため日本に流出した。李氏朝鮮政府は仏教弾圧する一方で、高麗仏画は日本に高価で取引されるため貿易品として輸出したり、また日朝親睦のため贈答したこともあった。 日本は対馬の仏像などを盗んだというが、それ以上に朝鮮の文化財を大量に略奪してきた。返還を要求するなら、まずは日本が盗んだ文化財を先に返すのが筋である。 対馬の仏像は交易品と考えるのが最も適切である。対馬島主らは真珠や水銀を贈るかわりに高麗から仏像や経典を受け取っていた。また海神神社の仏像が渡来したのは倭寇の時代よりも以前で、倭寇による略奪説は成り立たない。また倭寇も高麗末期に関しては大半が高麗の住民であることが朝鮮正史朝鮮王朝実録でも記載されており、倭寇を日本人とみなすことには問題がある。 日本にある朝鮮由来の文化財の多くは豊臣秀吉が朝鮮征伐の際に略奪したものであるため、返還すべきである。 秀吉の軍隊による略奪の多くは書籍であったし、略奪品として日本に来た物もあるが、平和的な交流のなから贈り贈られてきた物や貿易で入ってきた物もかなりあり、すべてを略奪品とみなすことはできない。文化財の由来書に朝鮮征伐の分捕り品(戦利品)と書かれているものも、当時は分捕り品とした説明した方がよしとされていたことも考慮する必要がある。
※この「李氏朝鮮時代の文化財の渡来について」の解説は、「朝鮮半島から流出した文化財の返還問題」の解説の一部です。
「李氏朝鮮時代の文化財の渡来について」を含む「朝鮮半島から流出した文化財の返還問題」の記事については、「朝鮮半島から流出した文化財の返還問題」の概要を参照ください。
- 李氏朝鮮時代の文化財の渡来についてのページへのリンク