すぎやま‐さんぷう【杉山杉風】
杉山杉風
杉山杉風
(1647~1732)
江戸幕府出入りの魚問屋主人。正保4年(1647年)生れ。蕉門の代表的人物。豊かな経済力で芭蕉の生活を支えた。人格的にも温厚篤実で芭蕉が最も心を許していた人物の一人。芭蕉庵の殆どは杉風の出資か、杉風の持ち家を改築したものであった。特に奥の細道の出発に先立って芭蕉が越した杉風の別墅は、現江東区平野に跡が残っている採荼庵(さい とあん)である。早春の寒さを気遣った杉風の勧めで旅の出発が遅れたのである。
一時5代将軍綱吉による生類憐の令によって鮮魚商に不況がおとずれるが、総じて温和で豊かな一生を送った。ただ、師の死後、蕉門の高弟嵐雪一派とは主導権をかけて対立的であった。
享保17年(1732年)死去。享年86歳。
なお、杉風の父は仙風で、享年は不詳だが芭蕉はこれに追悼句「手向けけり芋は蓮に似たるとて」を詠んでいる。
杉風の代表作
影ふた夜たらぬ程見る月夜哉(『あら野』)
肩衣は戻子にてゆるせ老の夏(『あら野』)
襟巻に首引入て冬の月(『猿蓑』)
年のくれ破れ袴の幾くだり(『猿蓑』)
がつくりとぬけ初る歯や秋の風(『猿蓑』)
手を懸ておらで過行木槿哉(『猿蓑』)
子や待ん餘り雲雀の高あがり(『猿蓑』)
みちのくのけふ関越ん箱の海老(『炭俵』)
紅梅は娘すまする妻戸哉(『炭俵』)
橘や定家机のありどころ(『炭俵』)
菊畑おくある霧のくもり哉(『炭俵』)
このくれも又くり返し同じ事(『炭俵』)
雪の松おれ口みれば尚寒し(『炭俵』)
昼寐して手の動やむ團かな(『續猿蓑』)
一塩にはつ白魚や雪の前(『續猿蓑』)
菊刈や冬たく薪の置所(『續猿蓑』)
杉山杉風
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杉山 杉風(すぎやま さんぷう、正保4年(1647年) - 享保17年6月13日(1732年8月3日))は、江戸時代前期から中期の俳人。蕉門十哲の一人。通称は市兵衛、または藤左衛門。名は元雅。別号は採荼庵、荼庵、荼舎、蓑翁、蓑杖[注釈 1]、五雲亭、存耕庵。隠居して一元。
- ^ (蕉門十哲, p. 53)は「衰杖・衰翁」、『江戸名所図絵第四冊』巻之七搖光之部1753頁には「
衰翁衰杖 」、『芭蕉事典』320頁には「蓑翁・衰杖」とある。初め「蓑翁」といったが、大病ののち衰えた杉風を見た芭蕉が「蓑」を「衰」にしたらよいと戯れに言い、晩年の杉風において「衰翁」を別号にしたものという(『図説江戸の芭蕉を歩く』104頁)。 - ^ 『杉風秘紀抜書』には「杉風本国三河」とあるが、これは杉風の娘婿(三河池鯉鮒生まれ)との混同による(俳諧人名辞典, p. 127-128)
- ^ 芭蕉の江戸出府当初の寄寓先については、杉風とする説(平山梅人『杉風秘記抜書』、泊船居竹二坊『芭蕉翁正伝』)のほかに、小沢卜尺とする説(菊岡沾涼『綾錦』、蓑笠庵梨一『芭蕉翁伝』)や、鳥羽屋三右衛門のち三枝主水とする説(武田村径『二書一巻聞書』)もある(「芭蕉の初期江戸寄寓一説」59頁)。
- ^ 深川芭蕉庵は時代により3つある。杉風が提供した生簀の番屋であった第1次芭蕉庵は天和の大火で焼失。天和3年(1683年)、山口素堂らの働きで第2次芭蕉庵が建てられるが、元禄2年(1689年)、おくのほそ道の旅に先立って人に譲渡。元禄5年(1692年)、杉風、枳風らによって第3次芭蕉庵が建てられた(『奥の細道の旅ハンドブック』8-10頁)。
- ^ 芭蕉庵のあった深川周辺には、杉風の採荼庵や、河合曾良、宗波らが集う山口素堂の庵があり、清閑を楽しむ蕉門の一群があった(『俳人の書画美術』82頁)。
- ^ a b c d 『和漢詩歌作家辞典』387頁
- ^ a b c d 潁原退蔵著作集, p. 224.
- ^ a b c d 『国書人名辞典』395頁
- ^ a b 『俳句人名辞典』184頁
- ^ 俳諧人名辞典, p. 127.
- ^ a b c d e f g 『芭蕉事典』320頁
- ^ a b 芭蕉の門人, p. 45.
- ^ a b 潁原退蔵著作集, p. 225.
- ^ a b c d e f 『俳句人名辞典』185頁
- ^ a b c 『和漢詩歌作家辞典』388頁
- ^ 『俳句の歴史』49頁
- ^ a b 俳諧人名辞典, p. 128.
- ^ 潁原退蔵著作集, p. 224-225.
- ^ a b 『俳句人名辞典』184-185頁
- ^ 「無情漂泊の詩心」7頁
- ^ 俳諧人名辞典, p. 129.
- ^ 芭蕉の門人, p. 47.
- ^ 『日本古典文学大事典』542頁
- ^ 芭蕉の門人, p. 49-50.
- ^ 『俳文学大辞典』347頁
- ^ a b 『俳人の書画美術』85頁
- ^ 芭蕉抄, p. 77-79.
- ^ 俳諧人名辞典, p. 131.
- ^ 芭蕉の門人, p. 53-54.
- ^ 『日本文学大辞典』337頁
- ^ 潁原退蔵著作集, p. 227.
- ^ 芭蕉の門人, p. 54-55.
- ^ 蕉門十哲, p. 52.
- ^ 蕉門十哲, p. 53.
- ^ a b c d 俳諧人名辞典, p. 130.
- ^ 『杉風と曾良と芭蕉』175頁
- ^ 『国書人名辞典』395-396頁
- ^ 『芭蕉事典』321頁
- ^ 芭蕉の門人, p. 57.
- ^ 芭蕉の門人, p. 59.
- ^ 芭蕉の門人, p. 54.
- ^ 潁原退蔵著作集, p. 226.
- ^ 芭蕉の門人, p. 5.
- ^ 蕉門頭陀物語, p. 22.
- ^ 芭蕉の門人, p. 60.
- ^ 蕉門十哲, p. 51.
- ^ 『心耳の譜』101,109-110頁
- ^ 東京帝国大学文学部史料編纂所『讀史備要』(新訂版)内外籍、1935年。doi:10.11501/1915733。NDLJP:1915733 。
杉山杉風(すぎやま さんぷう)
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「蕉門十哲」の記事における「杉山杉風(すぎやま さんぷう)」の解説
正保4年(1647年) - 享保17年(1732年) 本名は杉山市兵衛。蕉門の代表的人物で芭蕉の経済的支援者。深川の芭蕉庵の近くに庵があり、「採荼庵」(さいだあん、さいとあん)と云った。
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