一般的な蕉門十哲とは? わかりやすく解説

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一般的な蕉門十哲

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/12 09:17 UTC 版)

蕉門十哲」の記事における「一般的な蕉門十哲」の解説

一般には、竹内青々編『続俳家奇人談』(天保3年1832年))の与謝蕪村とされる賛画に描かれた、次の10とされることが多い。このうち其角嵐雪去来丈草は,江戸期諸書通じて十哲挙げられている。許六杉風挙げられることも多い。 宝井其角たからい きかく寛文元年1661年) - 宝永4年1707年蕉門第一高弟江戸座を開く。 服部嵐雪はっとり らんせつ承応3年1654年) - 宝永4年1707年其角ならんで蕉門双璧をなす向井去来むかい きょらい慶安4年1651年) - 宝永元年1704年京都嵯峨野別荘落柿舎」を所有芭蕉より野沢凡兆とともに猿蓑」の編者抜擢される。 内藤丈草ないとう じょうそう寛文2年1662年) - 宝永元年1704年森川許六もりかわ きょりく明暦2年1656年) - 正徳5年1715年晩年になって入門。画の名人芭蕉に画を教える。 杉山杉風すぎやま さんぷう正保4年1647年) - 享保17年1732年本名杉山市兵衛蕉門代表的人物芭蕉経済的支援者深川芭蕉庵近くに庵があり、「採荼庵」(さいだあん、さいとあん)と云った。 各務支考かがみ しこう寛文5年1665年) - 享保16年1731年立花北枝たちばな ほくし生年不詳 - 享保3年1718年) 「奥の細道」の道中芭蕉出会い入門志太野坡しだ やば寛文2年1662年) - 元文5年1740年芭蕉遺書代筆越智越人おち えつじん明暦2年1656年) - 没年不詳 尾張蕉門門人。「更科紀行」の旅に同行

※この「一般的な蕉門十哲」の解説は、「蕉門十哲」の解説の一部です。
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