一般的な蕉門十哲
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一般には、竹内青々編『続俳家奇人談』(天保3年(1832年))の与謝蕪村筆とされる賛画に描かれた、次の10名とされることが多い。このうち、其角、嵐雪、去来、丈草は,江戸期の諸書を通じて十哲に挙げられている。許六、杉風が挙げられることも多い。 宝井其角(たからい きかく) 寛文元年(1661年) - 宝永4年(1707年) 蕉門第一の高弟。江戸座を開く。 服部嵐雪(はっとり らんせつ) 承応3年(1654年) - 宝永4年(1707年) 其角とならんで蕉門の双璧をなす。 向井去来(むかい きょらい) 慶安4年(1651年) - 宝永元年(1704年) 京都嵯峨野に別荘「落柿舎」を所有。芭蕉より野沢凡兆とともに「猿蓑」の編者に抜擢される。 内藤丈草(ないとう じょうそう) 寛文2年(1662年) - 宝永元年(1704年) 森川許六(もりかわ きょりく) 明暦2年(1656年) - 正徳5年(1715年) 晩年になって入門。画の名人で芭蕉に画を教える。 杉山杉風(すぎやま さんぷう) 正保4年(1647年) - 享保17年(1732年) 本名は杉山市兵衛。蕉門の代表的人物で芭蕉の経済的支援者。深川の芭蕉庵の近くに庵があり、「採荼庵」(さいだあん、さいとあん)と云った。 各務支考(かがみ しこう) 寛文5年(1665年) - 享保16年(1731年) 立花北枝(たちばな ほくし) 生年不詳 - 享保3年(1718年) 「奥の細道」の道中の芭蕉と出会い入門。 志太野坡(しだ やば) 寛文2年(1662年) - 元文5年(1740年) 芭蕉の遺書を代筆。 越智越人(おち えつじん) 明暦2年(1656年) - 没年不詳 尾張蕉門の門人。「更科紀行」の旅に同行。
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