杉山杉風
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代表句
- がつくりと抜け初むる歯や秋の風
- 朝顔やその日その日の花の出来
- 橘や定家机のありどころ
- 時雨づく雲にわれたる入日哉
- 鳴く千鳥富士を見かへれ塩見坂
- 襟巻に首引き入れて冬の月
- 春雨や鴬這入る石灯籠
- ふり上る鍬の光や春の野ら
- うの花にぱつとまばゆき寝起哉
- 痩せ顔に団扇をかざし絶し息 (絶句)
門流
代 | 名 | 生没年 | 備考 |
---|---|---|---|
初 | 杉山杉風 | 1647年 - 1732年 | |
二 | 平山梅人 | 1744年-1801年 | |
三 | 垂井梅弟 | ||
四 | 太田萬里 | ||
五 | 鯉屋杉露 | ||
六 | 大沼杉舟 | ||
七 | 松井杉郷 | ||
八 | 重田石丈 |
登場する作品
参考文献
- 潁原退蔵『潁原退蔵著作集』中央公論社、1979年。ISBN 4124012012。 NCID BN00280230。
- 建部綾足, 一条政昭『蕉門頭陀物語 : 附・俳家詳伝』嵩山房、1893年。doi:10.11501/875134。 NCID BN15047375。全国書誌番号:41002442 。
- 日本随筆大成刊行会編『江戸名所図絵第四冊』日本随筆大成刊行会,1928
- 志田義秀『蕉門十哲』岩波書店〈岩波講座日本文學〉、1932年。 NCID BN08680006 。
- 東京帝国大学文学部史料編纂所編『読史備要』内外書籍,1938
- 潁原退蔵『芭蕉抄』京都帝國大學學生部〈京大教養講座本〉、1946年。doi:10.11501/1128350。 NCID BA41074624 。
- 堀切実『芭蕉の門人』岩波書店〈岩波新書〉、1991年。ISBN 4004301904。 NCID BN06833820。全国書誌番号:92006947。
- 高木蒼梧『俳諧人名辞典』明治書院、1960年。doi:10.11501/1345669。 NCID BN01696959。全国書誌番号:60009071 。
- 水田紀久「芭蕉の初期江戸寄寓一説」『連歌俳諧研究』第1957巻第14号、俳文学会、1957年、56-59頁、doi:10.11180/haibun1951.1957.14_56、ISSN 03873269、NAID 130004963428。
- 森忠重『和漢詩歌作家辞典』みづほ出版,1972
- 藤村作編『日本文学大辞典 第3巻』新潮社,増補改訂,1976
- 中村俊定監修『芭蕉事典』春秋社,1978
- 花田春兆『心耳の譜』こずえ,1978
- 潁原退蔵『潁原退蔵著作集 第十二巻』中央公論社,1979
- 座右宝刊行会編『俳人の書画美術 第三巻 蕉門諸家』集英社,1980
- 松隈義勇「無情漂泊の詩心 : 『おくのほそ道』序章私見 「草の戸も」の句について」『文藝論叢』第17巻、文教大学女子短期大学部文芸科、2-9頁、ISSN 0288-7193、NAID 120006421117。
- 市古貞次ほか編『国書人名辞典 第二巻』岩波書店,1995
- 尾形仂ら編『俳文学大辞典』角川書店,1995
- 中道伸三『杉風と曾良と芭蕉』日本図書刊行会,1997
- 常石英明編著『俳句人名辞典』金園社,1997
- 大曽根章介ほか編『日本古典文学大事典』明治書院,1998
- 山下一海『俳句の歴史』朝日新聞社,1999
- 久富哲雄『奥の細道の旅ハンドブック 改訂版』三省堂,2002
- 工藤寛正『図説江戸の芭蕉を歩く』河出書房新社,2004
外部リンク
- ^ (蕉門十哲, p. 53)は「衰杖・衰翁」、『江戸名所図絵第四冊』巻之七搖光之部1753頁には「
衰翁衰杖 」、『芭蕉事典』320頁には「蓑翁・衰杖」とある。初め「蓑翁」といったが、大病ののち衰えた杉風を見た芭蕉が「蓑」を「衰」にしたらよいと戯れに言い、晩年の杉風において「衰翁」を別号にしたものという(『図説江戸の芭蕉を歩く』104頁)。 - ^ 『杉風秘紀抜書』には「杉風本国三河」とあるが、これは杉風の娘婿(三河池鯉鮒生まれ)との混同による(俳諧人名辞典, p. 127-128)
- ^ 芭蕉の江戸出府当初の寄寓先については、杉風とする説(平山梅人『杉風秘記抜書』、泊船居竹二坊『芭蕉翁正伝』)のほかに、小沢卜尺とする説(菊岡沾涼『綾錦』、蓑笠庵梨一『芭蕉翁伝』)や、鳥羽屋三右衛門のち三枝主水とする説(武田村径『二書一巻聞書』)もある(「芭蕉の初期江戸寄寓一説」59頁)。
- ^ 深川芭蕉庵は時代により3つある。杉風が提供した生簀の番屋であった第1次芭蕉庵は天和の大火で焼失。天和3年(1683年)、山口素堂らの働きで第2次芭蕉庵が建てられるが、元禄2年(1689年)、おくのほそ道の旅に先立って人に譲渡。元禄5年(1692年)、杉風、枳風らによって第3次芭蕉庵が建てられた(『奥の細道の旅ハンドブック』8-10頁)。
- ^ 芭蕉庵のあった深川周辺には、杉風の採荼庵や、河合曾良、宗波らが集う山口素堂の庵があり、清閑を楽しむ蕉門の一群があった(『俳人の書画美術』82頁)。
- ^ a b c d 『和漢詩歌作家辞典』387頁
- ^ a b c d 潁原退蔵著作集, p. 224.
- ^ a b c d 『国書人名辞典』395頁
- ^ a b 『俳句人名辞典』184頁
- ^ 俳諧人名辞典, p. 127.
- ^ a b c d e f g 『芭蕉事典』320頁
- ^ a b 芭蕉の門人, p. 45.
- ^ a b 潁原退蔵著作集, p. 225.
- ^ a b c d e f 『俳句人名辞典』185頁
- ^ a b c 『和漢詩歌作家辞典』388頁
- ^ 『俳句の歴史』49頁
- ^ a b 俳諧人名辞典, p. 128.
- ^ 潁原退蔵著作集, p. 224-225.
- ^ a b 『俳句人名辞典』184-185頁
- ^ 「無情漂泊の詩心」7頁
- ^ 俳諧人名辞典, p. 129.
- ^ 芭蕉の門人, p. 47.
- ^ 『日本古典文学大事典』542頁
- ^ 芭蕉の門人, p. 49-50.
- ^ 『俳文学大辞典』347頁
- ^ a b 『俳人の書画美術』85頁
- ^ 芭蕉抄, p. 77-79.
- ^ 俳諧人名辞典, p. 131.
- ^ 芭蕉の門人, p. 53-54.
- ^ 『日本文学大辞典』337頁
- ^ 潁原退蔵著作集, p. 227.
- ^ 芭蕉の門人, p. 54-55.
- ^ 蕉門十哲, p. 52.
- ^ 蕉門十哲, p. 53.
- ^ a b c d 俳諧人名辞典, p. 130.
- ^ 『杉風と曾良と芭蕉』175頁
- ^ 『国書人名辞典』395-396頁
- ^ 『芭蕉事典』321頁
- ^ 芭蕉の門人, p. 57.
- ^ 芭蕉の門人, p. 59.
- ^ 芭蕉の門人, p. 54.
- ^ 潁原退蔵著作集, p. 226.
- ^ 芭蕉の門人, p. 5.
- ^ 蕉門頭陀物語, p. 22.
- ^ 芭蕉の門人, p. 60.
- ^ 蕉門十哲, p. 51.
- ^ 『心耳の譜』101,109-110頁
- ^ 東京帝国大学文学部史料編纂所『讀史備要』(新訂版)内外籍、1935年。doi:10.11501/1915733。NDLJP:1915733 。
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杉山杉風と同じ種類の言葉
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