木城町立木城小学校とは? わかりやすく解説

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木城町立木城小学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/16 04:11 UTC 版)

木城町立木城小学校
北緯32度09分38秒 東経131度28分06秒 / 北緯32.16047度 東経131.46839度 / 32.16047; 131.46839座標: 北緯32度09分38秒 東経131度28分06秒 / 北緯32.16047度 東経131.46839度 / 32.16047; 131.46839
過去の名称 木城尋常小学校
木城尋常高等小学校
木城国民学校
木城村立木城小学校
国公私立の別 公立学校
設置者 宮崎県木城町
併合学校 椎木尋常小学校
高城尋常小学校
川原分校
木城町立石河内小学校
校訓 教育目標
「自ら気付き、考え、判断できる、人間性豊かなたくましい児童の育成」
設立年月日 1901年明治34年)11月17日
創立記念日 11月17日
閉校年月日 2023年令和5年)3月31日
学期 3学期制
学校コード B145240415557
所在地 884-0102
宮崎県児湯郡木城町大字椎木2190番地
外部リンク 公式サイト (日本語)
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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木城町立木城小学校(きじょうちょうりつ きじょうしょうがっこう)は、かつて宮崎県児湯郡木城町大字椎木にあった公立小学校

2023年令和5年)3月末をもって閉校し、木城町立みどりの杜木城学園義務教育学校)に統合された。

概要

歴史
1899年明治32年)に当時の木城村内にあった尋常小学校2校(椎・高)が統合の上、「木城尋常小学校」として創立。2019年平成31年/令和元年)に創立120周年を迎えた。2023年(令和5年)3月末に閉校し、隣接する木城町立木城中学校と統合の上、義務教育学校「木城町立みどりの杜木城学園」となった。
教育目標
「自ら気付き、考え、判断できる、人間性豊かなたくましい児童の育成」
校章
三種の神器を背景にして、中央に校名の「木城」の文字(縦書き)を配している。
校歌
作詞は黒木重幸、作曲は金堀伸男による。歌詞は4番まであり、各番の歌詞中に校名の「木城」が登場する。
通学区域
木城町全域。中学校区は木城町立木城中学校であった。

沿革

旧・椎木小学校
  • 1873年(明治6年)6月 - 「椎木小学校」が創立。間もなく、支校(分校)として、「高城支校」・「川原支校」を設置。
  • 1874年(明治7年)2月 - 「第二十六番中学区十一番椎木小学校」に改称。
  • 1885年(明治18年)5月 - 校区を椎木村・川原村・上江村の一部(老瀬・木の瀬)としていたが、この年以降、椎木村・川原村のみとなる。川原支校を「川原分校」に改称。
  • 1887年(明治20年)4月 - 小学校令施行により、簡易科(3年制)を設置の上、「簡易椎木小学校」に改称。川原分校が分離の上、「簡易川原小学校」として独立。
  • 1889年(明治22年)5月1日 - 町村制施行により、児湯郡4村1町(本河内村・椎木村・川原村・高城村・高城町)の合併により、「木城村」が発足。
  • 1890年(明治23年)- 尋常科(4年制)を設置の上、「尋常椎木小学校」に改称。
  • 1892年(明治25年)4月 - 「椎木尋常小学校」(最終名)に改称。
  • 1893年(明治26年)6月 - 木造新校舎が完成。
  • 1894年(明治27年)- 裁縫科を設置。
  • 1899年(明治32年)11月13日 - 木城尋常小学校への統合により、閉校。
旧・高城小学校
  • 1873年(明治6年)8月1日 - 椎木小学校の支校(分校)として「高城支校」が創立。
  • 1874年(明治7年)2月 - 「第二十六番中学区十二番高城小学校」に改称。石河内支校を設置。
  • 1885年(明治18年)5月 - 校区を高城村・高城町とし、石河内村の支校を「石河内分校」に改称。中之又村に石河内分校の分教場を設置。
  • 1887年(明治20年)4月 - 小学校令施行により、簡易科(3年制)を設置の上、「簡易高城小学校」に改称。石河内分校が分離の上、「簡易石河原小学校」として独立。
  • 1889年(明治22年)5月1日 - 町村制施行により、児湯郡4村1町(本河内村・椎木村・川原村・高城村・高城町)の合併により、「木城村」が発足。校区であった、須田久保・十文字地区は隣村の川南村に編入。中之又村は東米良村に合併。
  • 1890年(明治23年)- 尋常科(4年制)を設置の上、「尋常高城小学校」に改称。
  • 1892年(明治25年)4月 - 「高城尋常小学校」(最終名)に改称。
  • 1894年(明治27年)- 裁縫科を設置。
  • 1896年(明治29年)11月 - 木造新校舎が完成。運動場を拡張。
  • 1899年(明治32年)11月13日 - 木城尋常小学校への統合により、閉校。
    • 最終所在地 - 現・木城町役場駐車場
統合・木城小学校
  • 1899年(明治32年)11月13日 - 上記の尋常小学校2校(椎木・高城)が統合の上、「木城尋常小学校」が開校。
  • 1901年(明治34年)
  • 1902年(明治35年)10月24日 - 川原分校を設置。
  • 1908年(明治41年)4月 - 改正小学校令により、尋常科(義務教育年限)が4年制から6年制に改められる。旧高等科1年を尋常科5年、旧高等科2年を尋常科6年、旧高等科3年を高等科1年、旧高等科4年を高等科2年に改める。
  • 1910年(明治43年)3月 - 木城工業補習学校を併設。
  • 1912年(明治45年)3月2日 - 校舎を増築。
  • 1914年大正3年)6月 - 運動場を拡張。
  • 1920年(大正9年)4月 - 併設の工業補習学校が農業補習学校に転換。
  • 1923年(大正12年)3月 - 川原分校を川原分教場とする。
  • 1926年(大正15年)7月 - 木城青年訓練所が併設される。
  • 1927年昭和2年)- 併設の農業補習学校が木城実業公民学校に改称。
  • 1935年(昭和10年)7月 - 青年学校令施行により、「木城青年学校」に改称。
  • 1939年(昭和14年)3月 - 川原水力発電所建設工事により児童数が増加したため、校舎を増築。
  • 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令の施行により、「木城村木城国民学校」に改称。尋常科を初等科に改める。
  • 1947年(昭和22年)- 学制改革が行われる(六・三制の実施)。
    • 4月1日 - 国民学校初等科は、新制小学校「木城村立木城小学校」に改組・改称。川原分教場を川原分校とする。
    • 5月8日 - 国民学校高等科は、青年学校普通科とともに、新制中学校木城村立木城中学校」に改組・改称。校舎は青年学校のものを使用。
  • 1948年(昭和23年)3月31日 - 木城青年学校が廃止される。
  • 1953年(昭和28年)9月 - 講堂が完成。校門を変更。
  • 1955年(昭和30年)9月 - 学校給食を開始。
  • 1963年(昭和38年)3月 - 鉄筋コンクリート造2階建て新校舎(教室棟西側)・プールが完成。
  • 1966年(昭和41年)4月 - 川原分校を廃止。廃止後の分校校舎は川原公民館として使用された。
  • 1968年(昭和43年)2月 - 鉄筋コンクリート造2階建て新校舎(教室棟東側)が完成。
  • 1973年(昭和48年)4月1日 - 町制施行により、「木城町立木城小学校」(最終名)に改称。
  • 1980年(昭和55年)3月 - 新講堂が完成。
  • 1986年(昭和61年)3月 - 校舎(3教室)を増築。 
  • 2001年(平成13年)11月17日 - 創立100周年記念式典を挙行。
  • 2010年(平成22年)3月 - 講堂新築のため、旧講堂を撤去。
  • 2011年(平成23年)2月 - 新講堂(二代目)が完成。
  • 2012年(平成24年)4月1日 - 木城町立石河内小学校を統合。
  • 2023年(令和5年)3月31日 - 木城町立みどりの杜木城学園(義務教育学校)への統合により閉校。
旧・中之又小学校(なかのまた)
  • 1872年(明治5年)- 木城大字中之又字仲野160番地に創立。民家を借用の上、校舎とする。
  • 1873年(明治6年) - 椎木小学校の支校(分校)として「高城支校」が創立。
  • 1877年(明治10年)- 大字中之又字中之又172番地に移転。
  • 1881年(明治14年)- 大字中之又字中之又182番地に校舎を新築移転(創立年)。
  • 1885年(明治18年)5月 - 「高城小学校石河内分校中之又分教場」となる。
  • 1887年(明治20年)4月 - 「簡易石河内小学校 中之又支校」となる。
  • 1889年(明治22年)5月1日 - 町村制施行により、児湯郡6村(銀鏡・上揚・八重・中尾・尾八重・中之又)の合併により、「東米良村」が発足。これにより、「東米良村簡易尾八重小学校中之又支校」となる。
  • 1890年(明治23年)- 「簡易尾八重小学校 中之又分校」に改称。
  • 1891年(昭和24年)- 尋常科(4年制)を設置の上、「尋常中之又小学校」として独立。
  • 1892年(明治25年)- 「中之又尋常小学校」に改称。
  • 1895年(明治28年)- 東米良村大字中之又122番地(中之又神社前)に新築移転。
  • 1908年(明治41年)4月 - 改正小学校令により、尋常科(義務教育年限)が4年制から6年制に改められる。尋常科5年を新設。
  • 1909年(明治42年)4月 - 尋常科6年を新設。
  • 1912年(明治45年)- 東米良村大字中之又字塊所331番地(最終所在地)に校舎が完成。
  • 1933年(昭和8年)- 木造2階建て2教室を増築。
  • 1934年(昭和9年)4月1日 - 高等科を併置の上、「中之又尋常高等小学校」に改称。
  • 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令施行により、「東米良村中之又国民学校」に改称。尋常科を初等科に改める。
  • 1943年(昭和18年)11月 - 宮崎県営石河内第一発電所従事者の児童増加により、校舎を増築。
  • 1947年(昭和22年) - 学制改革が行われる(六・三制の実施)。
    • 4月1日 - 国民学校初等科は新制小学校「東米良村立中之又小学校」に改組・改称。
    • 5月17日 - 国民学校高等科は、新制中学校「東米良村立東中学校[1] 中之又分校」に改組・改称。
  • 1951年(昭和26年)4月 - 併設の中学校分校が「東米良村立東陵中学校[1] 中之又分校」に改称。
  • 1954年(昭和29年)3月 - 木造2階建て校舎の増改築が完了。
  • 1960年(昭和35年)4月 - 学校D型ミルク給食を開始。
  • 1961年(昭和36年)3月 - 校旗・校章を制定。校章は学問を表すペン先3本と、鏡を組み合わせたものを背景にして中央に「小」の文字を配している。校門を新設。
  • 1962年(昭和37年)4月1日 - 東米良村中之又地区が木城村に編入されたため、「木城村立中之又小学校」に改称。東陵中学校[1]中之又分校は「木城村立中之又中学校」として独立。
  • 1965年(昭和40年)8月 - 運動場を拡張。
  • 1966年(昭和41年)7月 - 完全給食を開始。
  • 1967年(昭和42年)- へき地集会室兼用体育館が完成。
  • 1968年(昭和43年)4月 - 小中兼用プールが完成。
  • 1969年(昭和44年)11月 - ランチルームを設置。運動場を拡張。
  • 1973年(昭和48年)1月1日 - 町制施行により、「木城町立中之又小学校」(最終名)に改称。
  • 1981年(昭和56年)10月10日 - 創立100周年記念式典を挙行。
  • 1984年(昭和59年)4月 - 多目的集会施設が完成。
  • 1986年(昭和61年)3月31日 - 木城町立中之又中学校が閉校。中学校区が木城町立木城中学校に改められる。
  • 1990年(平成2年)3月 - 新校舎が完成。
  • 2009年(平成21年)3月31日 - 木城町立本河内小学校への統合により、閉校。128年の歴史に幕を閉じる。
    • 最終所在地 - 宮崎県児湯郡木城町宮崎県大字中之又328番地7
    • 校歌 - 作詞は石丸恵守、作曲は金堀伸夫による。歌詞は3番まであり、各番の歌詞中に校名の「なかのまた小学校」が登場する。
旧・石河内小学校(いしかわうち)
  • 1874年(明治7年)7月2日 - 「高城小学校 本河内支校」(分校)となる。旧藩時代の庄屋事務所を廃止の上、校舎とする。
  • 1877年(明治10年)- 西南の役勃発により、当面の間休校となる。
  • 1881年(明治14年)3月 - 「高城小学校 石河内分校」に改称。石河内神前423番地に藁葺家屋を建設。
  • 1883年(明治16年)8月 - 暴風雨により校舎が倒壊。戸長役場跡地を利用し、校舎を復旧。
  • 1887年(明治20年)4月 - 小学校令施行により、簡易科(3年制)を設置の上、「簡易石河内小学校」に改称(高城小学校より分離・独立)。
  • 1889年(明治22年)5月1日 - 町村制施行により、児湯郡4村1町(本河内村・椎木村・川原村・高城村・高城町)の合併により、「木城村」が発足。中之又村は東米良村に合併。
  • 1890年(明治23年)- 尋常科(4年制)を設置の上、「尋常石河内小学校」に改称。
  • 1892年(明治25年)4月 - 「石河内尋常小学校」に改称。
  • 1893年(明治26年)6月 - 校舎を増築。
  • 1897年(明治30年)3月 - 裁縫科を設置。
  • 1917年(大正6年)3月 - 運動場を拡張。
  • 1919年(大正8年)8月 - 木造校舎を増築。
  • 1921年(大正10年)5月 - 木城農業補習学校石河内分教場が設置される。
  • 1926年(大正15年)9月 - 板谷分教場を設置。
  • 1928年(昭和3年)2月 - 校舎を改築の上、移転を完了。
  • 1930年(昭和5年)4月 - 後援会を結成。
  • 1941年(昭和16年)
    • 4月1日 - 国民学校令施行により、「木城村石河内国民学校」に改称。尋常科を初等科に改める。
    • 8月 - 宮崎県営発電所に湯場分教場を設置。
    • 12月 - 営林署に戸崎分教場を設置。
  • 1944年(昭和19年)2月15日 - 午後6時の火災により、校舎が全焼。本村地区に仮校舎を設け授業を開始。
  • 1945年(昭和20年)8月 - 台風により戸崎分教場校舎が倒壊したため、湯場分教場に統合。
  • 1946年(昭和21年)
    • 4月 - 高等科を併置。
    • 11月 - 新校舎が完成。
  • 1947年(昭和22年)
    • 3月 - 湯場分教場と戸崎分教場を統合の上、戸崎分校とする。
    • 4月1日 - 学制改革により、国民学校初等科が新制小学校「木城村立石河内小学校」に改組・改称。
    • 5月8日 - 国民学校高等科は、新制中学校「木城村立木城中学校 石河内分校」に改組・改称。高鍋営林署石河内事務所宿舎を仮校舎とする。
    • 11月 - 新校舎が完成。
  • 1952年(昭和27年)7月 - 運動場を拡張。
  • 1955年(昭和35年)4月1日 - 木城中学校石河内分校が木城村立石河内中学校として独立。
  • 1957年(昭和32年)7月 - D型ミルク給食を開始。
  • 1958年(昭和33年)3月 - へき地集会室兼用講堂が完成。
  • 1959年(昭和34年)3月 - 校歌を制定。作詞は安田尚義、作曲は金堀伸夫による。歌詞は4番まであり、歌詞中に校名は登場しない。
  • 1961年(昭和36年)1月 - 運動場を拡張。
  • 1966年(昭和41年)
    • 1月 - 校章を制定。羽ばたくを背景にして、中央に校名の略称である「石小」の文字(縦書き)を配している。
    • 5月 - A型完全給食を開始(木城町給食センターが完成)。
  • 1967年(昭和42年)3月 - 正門が完成。
  • 1968年(昭和43年)3月 - プールが完成。
  • 1972年(昭和47年)
    • 3月31日 - 戸崎分校を廃止。
    • 4月 - スクールバスの運行を開始。
  • 1973年(昭和48年)1月1日 - 町制施行により、「木城町立石河内小学校」(最終名)に改称。
  • 1975年(昭和50年)3月 - 新体育館(中学校)が完成。
  • 1987年(昭和62年)3月31日 - 木城町立石河内中学校が閉校。中学校区が木城町立木城中学校に改められる。
  • 1988年(昭和63年)3月 - 新校舎が完成。
  • 2009年(平成21年)4月1日 - 木城町立中之又小学校を統合。
  • 2012年(平成24年)3月31日 - 木城町立木城小学校への統合により、閉校。138年の歴史に幕を閉じる。
    • 最終所在地 - 宮崎県児湯郡木城町石河内533番地2
    • 跡地の活用 - 宿泊施設「いしかわうち」として活用されている[2]

交通

最寄りの鉄道駅
JR日豊本線高鍋駅」より8km(15分)
最寄りのバス停
宮崎交通バス 「木城学校前」バス停より80m(徒歩1分)
最寄りの幹線道路
宮崎県道304号木城高鍋線 「木城町出店」交差点

周辺

脚注

  1. ^ a b c 1947年(昭和22年)の学制改革により、同年5月に新制中学校として、東米良村立岩井谷小学校に併設される。同時に尾八重分校と中之又分校が設置される。1951年(昭和26年)4月に「東米良村立東陵中学校」に改称。1962年(昭和37年) 4月に「西都市立東陵中学校」へ改称。1987年(昭和62年)3月に西都市立穂北中学校へ統合の統合により閉校となった。
  2. ^ いしかわうち

参考資料

  • 「木城町史」(木城町, 1991年(平成3年)9月1日発行)
    • p.748~p.807(明治初期の学校教育・木城小学校・本河内小学校・中之又小学校)
    • p.808~p.836(木城中学校・本河内中学校・中之又中学校)
    • p.837~p.841(青年学校)

関連項目

外部リンク




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