木城町立木城小学校
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木城町立木城小学校 | |
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北緯32度09分38秒 東経131度28分06秒 / 北緯32.16047度 東経131.46839度座標: 北緯32度09分38秒 東経131度28分06秒 / 北緯32.16047度 東経131.46839度 | |
過去の名称 |
木城尋常小学校 木城尋常高等小学校 木城国民学校 木城村立木城小学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 宮崎県木城町 |
併合学校 |
椎木尋常小学校 高城尋常小学校 川原分校 木城町立石河内小学校 |
校訓 |
教育目標 「自ら気付き、考え、判断できる、人間性豊かなたくましい児童の育成」 |
設立年月日 | 1901年(明治34年)11月17日 |
創立記念日 | 11月17日 |
閉校年月日 | 2023年(令和5年)3月31日 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | B145240415557 |
所在地 | 〒884-0102 |
宮崎県児湯郡木城町大字椎木2190番地 | |
外部リンク | 公式サイト |
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木城町立木城小学校(きじょうちょうりつ きじょうしょうがっこう)は、かつて宮崎県児湯郡木城町大字椎木にあった公立の小学校。
2023年(令和5年)3月末をもって閉校し、木城町立みどりの杜木城学園(義務教育学校)に統合された。
概要
- 歴史
- 1899年(明治32年)に当時の木城村内にあった尋常小学校2校(椎木・高城)が統合の上、「木城尋常小学校」として創立。2019年(平成31年/令和元年)に創立120周年を迎えた。2023年(令和5年)3月末に閉校し、隣接する木城町立木城中学校と統合の上、義務教育学校「木城町立みどりの杜木城学園」となった。
- 教育目標
- 「自ら気付き、考え、判断できる、人間性豊かなたくましい児童の育成」
- 校章
- 三種の神器を背景にして、中央に校名の「木城」の文字(縦書き)を配している。
- 校歌
- 作詞は黒木重幸、作曲は金堀伸男による。歌詞は4番まであり、各番の歌詞中に校名の「木城」が登場する。
- 通学区域
- 木城町全域。中学校区は木城町立木城中学校であった。
沿革
- 旧・椎木小学校
- 1873年(明治6年)6月 - 「椎木小学校」が創立。間もなく、支校(分校)として、「高城支校」・「川原支校」を設置。
- 1874年(明治7年)2月 - 「第二十六番中学区十一番椎木小学校」に改称。
- 1885年(明治18年)5月 - 校区を椎木村・川原村・上江村の一部(老瀬・木の瀬)としていたが、この年以降、椎木村・川原村のみとなる。川原支校を「川原分校」に改称。
- 1887年(明治20年)4月 - 小学校令施行により、簡易科(3年制)を設置の上、「簡易椎木小学校」に改称。川原分校が分離の上、「簡易川原小学校」として独立。
- 1889年(明治22年)5月1日 - 町村制施行により、児湯郡4村1町(本河内村・椎木村・川原村・高城村・高城町)の合併により、「木城村」が発足。
- 1890年(明治23年)- 尋常科(4年制)を設置の上、「尋常椎木小学校」に改称。
- 1892年(明治25年)4月 - 「椎木尋常小学校」(最終名)に改称。
- 1893年(明治26年)6月 - 木造新校舎が完成。
- 1894年(明治27年)- 裁縫科を設置。
- 1899年(明治32年)11月13日 - 木城尋常小学校への統合により、閉校。
- 旧・高城小学校
- 1873年(明治6年)8月1日 - 椎木小学校の支校(分校)として「高城支校」が創立。
- 1874年(明治7年)2月 - 「第二十六番中学区十二番高城小学校」に改称。石河内支校を設置。
- 1885年(明治18年)5月 - 校区を高城村・高城町とし、石河内村の支校を「石河内分校」に改称。中之又村に石河内分校の分教場を設置。
- 1887年(明治20年)4月 - 小学校令施行により、簡易科(3年制)を設置の上、「簡易高城小学校」に改称。石河内分校が分離の上、「簡易石河原小学校」として独立。
- 1889年(明治22年)5月1日 - 町村制施行により、児湯郡4村1町(本河内村・椎木村・川原村・高城村・高城町)の合併により、「木城村」が発足。校区であった、須田久保・十文字地区は隣村の川南村に編入。中之又村は東米良村に合併。
- 1890年(明治23年)- 尋常科(4年制)を設置の上、「尋常高城小学校」に改称。
- 1892年(明治25年)4月 - 「高城尋常小学校」(最終名)に改称。
- 1894年(明治27年)- 裁縫科を設置。
- 1896年(明治29年)11月 - 木造新校舎が完成。運動場を拡張。
- 1899年(明治32年)11月13日 - 木城尋常小学校への統合により、閉校。
- 最終所在地 - 現・木城町役場駐車場
- 統合・木城小学校
- 1899年(明治32年)11月13日 - 上記の尋常小学校2校(椎木・高城)が統合の上、「木城尋常小学校」が開校。
- 1901年(明治34年)
- 1902年(明治35年)10月24日 - 川原分校を設置。
- 1908年(明治41年)4月 - 改正小学校令により、尋常科(義務教育年限)が4年制から6年制に改められる。旧高等科1年を尋常科5年、旧高等科2年を尋常科6年、旧高等科3年を高等科1年、旧高等科4年を高等科2年に改める。
- 1910年(明治43年)3月 - 木城工業補習学校を併設。
- 1912年(明治45年)3月2日 - 校舎を増築。
- 1914年(大正3年)6月 - 運動場を拡張。
- 1920年(大正9年)4月 - 併設の工業補習学校が農業補習学校に転換。
- 1923年(大正12年)3月 - 川原分校を川原分教場とする。
- 1926年(大正15年)7月 - 木城青年訓練所が併設される。
- 1927年(昭和2年)- 併設の農業補習学校が木城実業公民学校に改称。
- 1935年(昭和10年)7月 - 青年学校令施行により、「木城青年学校」に改称。
- 1939年(昭和14年)3月 - 川原水力発電所建設工事により児童数が増加したため、校舎を増築。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令の施行により、「木城村木城国民学校」に改称。尋常科を初等科に改める。
- 1947年(昭和22年)- 学制改革が行われる(六・三制の実施)。
- 1948年(昭和23年)3月31日 - 木城青年学校が廃止される。
- 1953年(昭和28年)9月 - 講堂が完成。校門を変更。
- 1955年(昭和30年)9月 - 学校給食を開始。
- 1963年(昭和38年)3月 - 鉄筋コンクリート造2階建て新校舎(教室棟西側)・プールが完成。
- 1966年(昭和41年)4月 - 川原分校を廃止。廃止後の分校校舎は川原公民館として使用された。
- 1968年(昭和43年)2月 - 鉄筋コンクリート造2階建て新校舎(教室棟東側)が完成。
- 1973年(昭和48年)4月1日 - 町制施行により、「木城町立木城小学校」(最終名)に改称。
- 1980年(昭和55年)3月 - 新講堂が完成。
- 1986年(昭和61年)3月 - 校舎(3教室)を増築。
- 2001年(平成13年)11月17日 - 創立100周年記念式典を挙行。
- 2010年(平成22年)3月 - 講堂新築のため、旧講堂を撤去。
- 2011年(平成23年)2月 - 新講堂(二代目)が完成。
- 2012年(平成24年)4月1日 - 木城町立石河内小学校を統合。
- 2023年(令和5年)3月31日 - 木城町立みどりの杜木城学園(義務教育学校)への統合により閉校。
- 旧・中之又小学校(なかのまた)
- 1872年(明治5年)- 木城大字中之又字仲野160番地に創立。民家を借用の上、校舎とする。
- 1873年(明治6年) - 椎木小学校の支校(分校)として「高城支校」が創立。
- 1877年(明治10年)- 大字中之又字中之又172番地に移転。
- 1881年(明治14年)- 大字中之又字中之又182番地に校舎を新築移転(創立年)。
- 1885年(明治18年)5月 - 「高城小学校石河内分校中之又分教場」となる。
- 1887年(明治20年)4月 - 「簡易石河内小学校 中之又支校」となる。
- 1889年(明治22年)5月1日 - 町村制施行により、児湯郡6村(銀鏡・上揚・八重・中尾・尾八重・中之又)の合併により、「東米良村」が発足。これにより、「東米良村簡易尾八重小学校中之又支校」となる。
- 1890年(明治23年)- 「簡易尾八重小学校 中之又分校」に改称。
- 1891年(昭和24年)- 尋常科(4年制)を設置の上、「尋常中之又小学校」として独立。
- 1892年(明治25年)- 「中之又尋常小学校」に改称。
- 1895年(明治28年)- 東米良村大字中之又122番地(中之又神社前)に新築移転。
- 1908年(明治41年)4月 - 改正小学校令により、尋常科(義務教育年限)が4年制から6年制に改められる。尋常科5年を新設。
- 1909年(明治42年)4月 - 尋常科6年を新設。
- 1912年(明治45年)- 東米良村大字中之又字塊所331番地(最終所在地)に校舎が完成。
- 1933年(昭和8年)- 木造2階建て2教室を増築。
- 1934年(昭和9年)4月1日 - 高等科を併置の上、「中之又尋常高等小学校」に改称。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令施行により、「東米良村中之又国民学校」に改称。尋常科を初等科に改める。
- 1943年(昭和18年)11月 - 宮崎県営石河内第一発電所従事者の児童増加により、校舎を増築。
- 1947年(昭和22年) - 学制改革が行われる(六・三制の実施)。
- 1951年(昭和26年)4月 - 併設の中学校分校が「東米良村立東陵中学校[1] 中之又分校」に改称。
- 1954年(昭和29年)3月 - 木造2階建て校舎の増改築が完了。
- 1960年(昭和35年)4月 - 学校D型ミルク給食を開始。
- 1961年(昭和36年)3月 - 校旗・校章を制定。校章は学問を表すペン先3本と、鏡を組み合わせたものを背景にして中央に「小」の文字を配している。校門を新設。
- 1962年(昭和37年)4月1日 - 東米良村中之又地区が木城村に編入されたため、「木城村立中之又小学校」に改称。東陵中学校[1]中之又分校は「木城村立中之又中学校」として独立。
- 1965年(昭和40年)8月 - 運動場を拡張。
- 1966年(昭和41年)7月 - 完全給食を開始。
- 1967年(昭和42年)- へき地集会室兼用体育館が完成。
- 1968年(昭和43年)4月 - 小中兼用プールが完成。
- 1969年(昭和44年)11月 - ランチルームを設置。運動場を拡張。
- 1973年(昭和48年)1月1日 - 町制施行により、「木城町立中之又小学校」(最終名)に改称。
- 1981年(昭和56年)10月10日 - 創立100周年記念式典を挙行。
- 1984年(昭和59年)4月 - 多目的集会施設が完成。
- 1986年(昭和61年)3月31日 - 木城町立中之又中学校が閉校。中学校区が木城町立木城中学校に改められる。
- 1990年(平成2年)3月 - 新校舎が完成。
- 2009年(平成21年)3月31日 - 木城町立本河内小学校への統合により、閉校。128年の歴史に幕を閉じる。
- 最終所在地 - 宮崎県児湯郡木城町宮崎県大字中之又328番地7
- 校歌 - 作詞は石丸恵守、作曲は金堀伸夫による。歌詞は3番まであり、各番の歌詞中に校名の「なかのまた小学校」が登場する。
- 旧・石河内小学校(いしかわうち)
- 1874年(明治7年)7月2日 - 「高城小学校 本河内支校」(分校)となる。旧藩時代の庄屋事務所を廃止の上、校舎とする。
- 1877年(明治10年)- 西南の役勃発により、当面の間休校となる。
- 1881年(明治14年)3月 - 「高城小学校 石河内分校」に改称。石河内神前423番地に藁葺家屋を建設。
- 1883年(明治16年)8月 - 暴風雨により校舎が倒壊。戸長役場跡地を利用し、校舎を復旧。
- 1887年(明治20年)4月 - 小学校令施行により、簡易科(3年制)を設置の上、「簡易石河内小学校」に改称(高城小学校より分離・独立)。
- 1889年(明治22年)5月1日 - 町村制施行により、児湯郡4村1町(本河内村・椎木村・川原村・高城村・高城町)の合併により、「木城村」が発足。中之又村は東米良村に合併。
- 1890年(明治23年)- 尋常科(4年制)を設置の上、「尋常石河内小学校」に改称。
- 1892年(明治25年)4月 - 「石河内尋常小学校」に改称。
- 1893年(明治26年)6月 - 校舎を増築。
- 1897年(明治30年)3月 - 裁縫科を設置。
- 1917年(大正6年)3月 - 運動場を拡張。
- 1919年(大正8年)8月 - 木造校舎を増築。
- 1921年(大正10年)5月 - 木城農業補習学校石河内分教場が設置される。
- 1926年(大正15年)9月 - 板谷分教場を設置。
- 1928年(昭和3年)2月 - 校舎を改築の上、移転を完了。
- 1930年(昭和5年)4月 - 後援会を結成。
- 1941年(昭和16年)
- 4月1日 - 国民学校令施行により、「木城村石河内国民学校」に改称。尋常科を初等科に改める。
- 8月 - 宮崎県営発電所に湯場分教場を設置。
- 12月 - 営林署に戸崎分教場を設置。
- 1944年(昭和19年)2月15日 - 午後6時の火災により、校舎が全焼。本村地区に仮校舎を設け授業を開始。
- 1945年(昭和20年)8月 - 台風により戸崎分教場校舎が倒壊したため、湯場分教場に統合。
- 1946年(昭和21年)
- 4月 - 高等科を併置。
- 11月 - 新校舎が完成。
- 1947年(昭和22年)
- 3月 - 湯場分教場と戸崎分教場を統合の上、戸崎分校とする。
- 4月1日 - 学制改革により、国民学校初等科が新制小学校「木城村立石河内小学校」に改組・改称。
- 5月8日 - 国民学校高等科は、新制中学校「木城村立木城中学校 石河内分校」に改組・改称。高鍋営林署石河内事務所宿舎を仮校舎とする。
- 11月 - 新校舎が完成。
- 1952年(昭和27年)7月 - 運動場を拡張。
- 1955年(昭和35年)4月1日 - 木城中学校石河内分校が木城村立石河内中学校として独立。
- 1957年(昭和32年)7月 - D型ミルク給食を開始。
- 1958年(昭和33年)3月 - へき地集会室兼用講堂が完成。
- 1959年(昭和34年)3月 - 校歌を制定。作詞は安田尚義、作曲は金堀伸夫による。歌詞は4番まであり、歌詞中に校名は登場しない。
- 1961年(昭和36年)1月 - 運動場を拡張。
- 1966年(昭和41年)
- 1月 - 校章を制定。羽ばたく鳩を背景にして、中央に校名の略称である「石小」の文字(縦書き)を配している。
- 5月 - A型完全給食を開始(木城町給食センターが完成)。
- 1967年(昭和42年)3月 - 正門が完成。
- 1968年(昭和43年)3月 - プールが完成。
- 1972年(昭和47年)
- 3月31日 - 戸崎分校を廃止。
- 4月 - スクールバスの運行を開始。
- 1973年(昭和48年)1月1日 - 町制施行により、「木城町立石河内小学校」(最終名)に改称。
- 1975年(昭和50年)3月 - 新体育館(中学校)が完成。
- 1987年(昭和62年)3月31日 - 木城町立石河内中学校が閉校。中学校区が木城町立木城中学校に改められる。
- 1988年(昭和63年)3月 - 新校舎が完成。
- 2009年(平成21年)4月1日 - 木城町立中之又小学校を統合。
- 2012年(平成24年)3月31日 - 木城町立木城小学校への統合により、閉校。138年の歴史に幕を閉じる。
- 最終所在地 - 宮崎県児湯郡木城町石河内533番地2
- 跡地の活用 - 宿泊施設「いしかわうち」として活用されている[2]。
交通
- 最寄りの鉄道駅
- JR日豊本線 「高鍋駅」より8km(車15分)
- 最寄りのバス停
- 宮崎交通バス 「木城学校前」バス停より80m(徒歩1分)
- 最寄りの幹線道路
- 宮崎県道304号木城高鍋線 「木城町出店」交差点
周辺
- 木城町立みどりの杜木城学園(旧・木城町立木城中学校)
- 木城町給食センター
- 木城町体育館
- 木城町椎木児童館
- 木城町社会福祉協議会
- 木城町総合交流センターリバリス
- 木城町役場
- 高鍋警察署 木城警察官駐在所
- 高城橋
- 小丸川
脚注
参考資料
- 「木城町史」(木城町, 1991年(平成3年)9月1日発行)
- p.748~p.807(明治初期の学校教育・木城小学校・本河内小学校・中之又小学校)
- p.808~p.836(木城中学校・本河内中学校・中之又中学校)
- p.837~p.841(青年学校)
関連項目
外部リンク
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