木城町立木城中学校とは? わかりやすく解説

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木城町立木城中学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/09 08:31 UTC 版)

木城町立木城中学校
北緯32度09分37秒 東経131度28分02秒 / 北緯32.160384度 東経131.467189度 / 32.160384; 131.467189座標: 北緯32度09分37秒 東経131度28分02秒 / 北緯32.160384度 東経131.467189度 / 32.160384; 131.467189
過去の名称 木城村立木城中学校
国公私立の別 公立学校
設置者 木城町
併合学校 木城町立石河内中学校
木城町立中之又中学校
設立年月日 1947年(昭和22年)5月8日
閉校年月日 2023年令和5年)3月31日
共学・別学 男女共学
学校コード C145240445283
所在地 884-0102
宮崎県児湯郡木城町大字椎木2210番地1
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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木城町立木城中学校(きじょうちょうりつ きじょうちゅうがっこう)は、かつて宮崎県児湯郡木城町大字椎木にあった公立中学校

2023年令和5年)3月末をもって閉校し、木城町立みどりの杜木城学園義務教育学校)に統合された。

概要

歴史
1947年昭和22年)の学制改革により、新制中学校として創立。2022年令和4年)には創立75周年を迎えた。2023年(令和5年)3月末をもって閉校し、隣接する木城町立木城小学校と統合の上、義務教育学校「木城町立みどりの杜木城学園」となった。
校章
3枚の葉を背景にして、中央に校名の頭文字である「木」を丸みを帯びた形にして、「中」の文字を取り囲んだデザインとなっている。
校歌
作詞は本田親徳、作曲は金堀伸夫による。歌詞は3番まであり、各番の歌詞中に校名の「木城中学校」が登場する。
通学区域
木城町全域(大字椎木・大字高城・大字川原・大字石河内・大字中之又)であった。小学校区は木城町立木城小学校

沿革

旧・木城中学校
  • 1947年(昭和22年)
    • 4月27日 - 木城村会(村議会)において、新制中学校「木城村立木城中学校」の設立が議決される。
    • 4月30日 - 木城村立木城中学校の設置が認可される。初代校長に岩永鶴松が就任。
    • 5月8日 - 開校式を挙行。授業を開始。
  • 1948年(昭和23年)
    • 3月31日 - 青年学校が廃止される。
    • 4月 - 新校舎(中校舎)が完成。
  • 1951年(昭和26年)3月 - 南校舎が完成。
  • 1952年(昭和27年)5月 - 学校旗を制定。
  • 1953年(昭和28年)9月 - 小中共同雨天体操場兼講堂が完成。
  • 1955年(昭和30年)4月1日 - 石河内分校が分離の上、木城村立石河内中学校として独立。
  • 1957年(昭和32年)11月10日 - 校歌を制定。
  • 1962年(昭和37年)12月 - 技術家庭室等が完成。小中学校共用プールが完成。
  • 1963年(昭和38年)9月 - 生徒D型ミルク給食を開始。
  • 1965年(昭和40年)2月 - 体育館が完成。
  • 1966年(昭和41年)5月 - 学校給食A型完全給食を開始。
  • 1970年(昭和45年)2月 - 鉄筋コンクリート造新校舎(第一期工事)が完成。
  • 1973年(昭和48年)4月1日 - 町制施行により、「木城町立木城中学校」(最終名)に改称。
  • 1975年(昭和50年)11月 - 附属校舎(柔道室・卓球室等)の改修を完了。
  • 1981年(昭和56年)1月 - 技術室が完成。
  • 1982年(昭和57年)3月 - 校旗を新調。
  • 1984年(昭和59年)
    • 1月 - 新校舎防音工事(第一期)が完了。
    • 11月 - 新校舎防音工事(第二期)が完了。
  • 1985年(昭和60年)6月 - 運動場に大時計が設置される。
  • 1986年(昭和61年)
    • 2月 - 木城中学校寄宿舎が完成。
    • 4月1日 - 木城町立中之又中学校を統合。
  • 1987年(昭和62年)
    • 3月 - 講堂体育館)が完成。
    • 4月1日 - 木城町立石河内中学校を統合。
  • 1991年(平成3年)1月 - 部活動部室が完成。
  • 1992年(平成4年)3月 - LL教室およびコンピュータ教室が完成。
  • 1997年(平成9年)
    • 3月 - グラウンドを改修。
    • 11月2日 - 創立50周年記念式典を挙行。
  • 2008年(平成20年)8月 - 耐震工事が完了。
  • 2023年(令和5年)3月31日 - 木城町立みどりの杜木城学園(義務教育学校)への統合により閉校。
旧・中之又中学校(なかのまた)
  • 1947年(昭和22年)5月17日 - 学制改革(六・三制の実施)により、東米良村中之又国民学校の高等科が、青年学校普通科とともに、新制中学校「東米良村立東中学校[1] 中之又分校」が中之又小学校に併設される。
  • 1949年(昭和24年)9月 - 宮崎県電気部の援助と地区民の奉仕作業により、分校校舎の敷地を拓き、木造平屋建て3教室が完成。
  • 1951年(昭和26年)4月1日 - 「東米良村立東陵中学校[1] 中之又分校」に改称。
  • 1954年(昭和29年)- 木造2階建て校舎を増改築。
  • 1960年(昭和35年)9月 - 給食D型ミルク給食を開始。
  • 1961年(昭和36年)3月 - 校旗・校章を制定(中央に校名の頭文字と中学校を兼ねた「中」の文字を配している)。校門を新設。
  • 1962年(昭和37年)4月1日 - 東米良村の中之又地区が木城村に編入されたため、「木城村立中之又中学校」として独立。
  • 1963年(昭和38年)2月10日 - 校歌を制定。作詞は安田尚義、作曲は金堀伸夫による。歌詞は3番まであり、各番の歌詞中に校名の「中之又中学校」が登場。
  • 1965年(昭和40年)8月 - 運動場を拡張。
  • 1966年(昭和41年)7月 - A型完全給食を開始。
  • 1968年(昭和43年)
    • 3月 - へき地集会室が完成。
    • 8月 - 小中兼用プールが完成。
  • 1969年(昭和44年)11月 - ランチルームが完成。運動場を拡張。
  • 1973年(昭和48年)4月1日 - 町制施行により、「木城町立中之又中学校」(最終名)に改称。
  • 1984年(昭和59年)9月20日 - PTA臨時総会にて、木城中学校への統合の意思が決定される。1986年度(昭和61年度)より生徒は木城中学校の寄宿舎に入寮することとなる。
  • 1986年(昭和61年)
    • 3月26日 - 閉校式を挙行。
    • 3月31日 - 木城町立木城中学校への統合により、閉校。39年の歴史に幕を閉じる。
旧・石河内小学校(いしかわうち)
  • 1947年(昭和22年)5月8日 - 石河内国民学校の高等科が青年学校普通科とともに、新制中学校「木城村立木城中学校 石河内分校」が設置される。高鍋営林署石河内事務所宿舎を仮校舎として開校。
  • 1948年(昭和23年)4月 - 石神社社殿を仮校舎として使用。
  • 1949年(昭和24年)10月 - 石河内小学校の隣接地に新校舎が完成し、移転を完了。
  • 1951年(昭和26年)9月 - 2教室を増築。
  • 1955年(昭和30年)4月1日 - 木城中学校から分離の上、「木城村立石河内中学校」として独立。
  • 1957年(昭和32年)
    • 4月 - 宮崎交通バスが本村まで開通し、通学が便利になる。
    • 7月 - ミルク給食を開始。
  • 1958年(昭和33年)3月 - へき地集会室が完成。
  • 1959年(昭和34年)2月 - 校歌を制定。作詞は安田尚義、作曲は金堀伸夫による。歌詞は3番まであり、各番の歌詞中に校名の「石河内中学校」が登場。
  • 1960年(昭和35年)9月 - 校章を制定。3枚の葉を背景にして、中央に「中」の文字を配したデザインとなっている。
  • 1961年(昭和36年)
    • 3月 - 運動場を拡張。
    • 6月 - 特別教室が完成。
  • 1964年(昭和39年)9月 - 運動場を新設。
  • 1966年(昭和41年)5月 - 完全給食を開始。
  • 1968年(昭和43年)2月 - 小中兼用プールが完成。
  • 1971年(昭和46年)12月 - 理科室と美術室が完成。
  • 1972年(昭和47年)4月 - 石河内小学校戸崎分校の廃止により、当該地区(戸崎・鵜懐・春山地区)方面に小中学生対象のスクールバスの運行を開始。
  • 1973年(昭和48年)4月1日 - 町制施行により、「木城町立石河内中学校」(最終名)に改称。
  • 1975年(昭和50年)3月 - へき地集会室(体育館)が完成。
  • 1979年(昭和54年)9月 - 校舎の補修工事が完了。
  • 1986年(昭和61年)9月 - PTA総会にて、木城中学校への統合が議決される。
  • 1987年(昭和62年)3月31日 - 木城町立木城中学校への統合により、閉校。40年の歴史に幕を下ろす。

交通

最寄りの鉄道駅
JR日豊本線高鍋駅」より8km(15分)
最寄りのバス停
宮崎交通バス 「木城学校前」バス停より80m(徒歩1分)
最寄りの幹線道路
宮崎県道304号木城高鍋線 「木城町出店」交差点

周辺

  • 木城町給食センター
  • 木城町体育館
  • 木城町椎木児童館
  • 木城町社会福祉協議会
  • 木城町総合交流センターリバリス
  • 木城町役場
  • 高鍋警察署 木城警察官駐在所
  • 高城橋
  • 小丸川

参考資料

  • 「木城町史」(木城町, 1991年(平成3年)9月1日発行)
    • p.748~p.807(明治初期の学校教育・木城小学校・本河内小学校・中之又小学校)
    • p.808~p.836(木城中学校・本河内中学校・中之又中学校)
    • p.837~p.841(青年学校)

脚注

  1. ^ a b 1947年(昭和22年)の学制改革により、同年5月に新制中学校として、東米良村立岩井谷小学校に併設される。同時に尾八重分校と中之又分校が設置される。1951年(昭和26年)4月に「東米良村立東陵中学校」に改称。1962年(昭和37年) 4月に「西都市立東陵中学校」へ改称。1987年(昭和62年)3月に西都市立穂北中学校へ統合の統合により閉校となった。

関連項目

外部リンク





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