有史来
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 05:42 UTC 版)
寛政2年(1790年)に松前藩の運上所がノッカマップ(現:根室市牧の内)から根室に移ったのが、集落の起源となった。根室は「子モロ」(子はネの変体仮名)「根諸」などと書き、河口に流木が寄り集まる小川からとられたという。また、アイヌ語のニムオロ(木の繁るところ)からとられたという説もある。根室の前に運上所があったノッカマップは、前年のクナシリ・メナシの戦いの首謀者が処刑された場所であった。そのせいでアイヌに嫌われたノッカマップを避けたのが、移転の理由であったという。寛政11年(1799年)に東蝦夷地が天領になると、根室の運上所は根室会所と改められた。 文政4年(1821年)には松前藩領に復した。 安政2年(1855年)再び天領となった際、仙台藩が出張陣屋を築き警固を行った。 明治2年(1869年)8月、北海道11ヶ国86郡が制定され、今の根室市に相当する地域は根室国に含まれ花咲郡と根室郡が置かれた。 明治2年(1869年)10月に開拓使の根室出張所が置かれ、明治3年6月東京府に編入され同年10月19日付けで根室国3郡の東京府管轄を廃止する。明治4年(1871年)5月に根室出張開拓支庁と改称、明治5年(1872年)9月から根室支庁と改称した。これら官庁は東北海道の行政を統括する役目を持っていた。1882年(明治15年)から1886年(明治19年)までは、根室県の県庁所在地であった。1886年(明治19年)1月に北海道庁が設置されると、根室県は廃止され、12月まで一時的に根室支庁が置かれた。1897年(明治30年)に、今までのものよりずっと狭い根室支庁が置かれると、その所在地となって今日に至る。 明治初めの根室は北海道東部最大の町であった。周辺の海域で働く漁業労働者の一時的な滞在地で、人口の季節変動が大きかった。1877年(明治10年)に漁場持制が廃止され、少数商人の支配がなくなると、根室に永住する人も増え、商店が並ぶようになった。 戦前戦後は国内有数の水産都市として発展した。太平洋戦争末期の1945年(昭和20年)にはアメリカ軍による軍事攻撃があり、同年7月14日の北海道空襲の際には死者369人を出した。根室市内の大半が焼失し壊滅的被害を受けたが戦後になり復興した。1957年(昭和32年)に根室郡和田村と合併し市制を施行、1959年(昭和34年)に花咲郡歯舞村を編入合併した。
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