最低限の接客設備
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/08 03:46 UTC 版)
専ら普通列車での運用が前提であったことから、接客設備等は木造車並みの部分も多く、安全対策のために車体構体を鋼製に改造しただけで、同時期の完全新製車(スハ43など)と比べると、乗り心地や居住性の面では劣った。 車内はベニヤ板内装のニス塗り及びペンキ塗り、窓の日よけは既に客車・電車用として巻き上げカーテン(ロールスクリーン)が出現していた時代にもかかわらず、二重窓となる北海道向け車以外では旧式な木製の鎧戸が用いられた。しかも戦前形の車両のような2段分割鎧戸でなく、1段式、明り取りの隙間を最下部に残す構造として、工数を軽減していた。なお、初期のオハ60・オハフ60は木造車並みの狭幅窓(700 mm)であったが、木造客車は落とし込み式の下降窓であるのに対し、鋼製客車は上昇式の窓構造であり、一部の私鉄鋼体化電車に見られた窓ガラス・窓枠に至るまでの再利用はなされていない。 座席は木造車並みの木製背ずりで、スハ32形以降の20 m 級制式三等客車が定員88人であるのに対し、鋼体化車では快適性・居住性よりも輸送力を重視したため、木造車並みの狭いピッチ (1,335 mm 間隔) とされ、ボックスが左右1組ずつ増えて定員96人(緩急車では制式定員80人のところ88人)となった。当初は専らローカル線の短距離運用向けと想定されていたため、極限まで定員を増やす目的で洗面所を省いて便所のみ設置とすることも考えられていたが(それだけでも4人定員が増える)、車体の新しい車両は長距離運用にも充当したいという意見もあって、洗面所スペースが一般客車同様に設置された。 また、鋼体化改造車の標準台車として用いられたTR11は、明治時代に鉄道作業局で設計された台車に由来する旧式の釣り合い梁(イコライザー)式台車であり、軽量な17 m 級木造車での使用を前提とする設計であった。それゆえ、大形化された20 m 級鋼製車体とのマッチングが悪く、高速走行時の動揺が酷かった。 しかし1960年代までは、客車そのものが極端に不足していた当時の事情から、結局、本来オハ35系またはスハ43系を充当すべき急行列車にも、これらの代わりに60系が連結されているケースも少なくなく、遜色急行等と揶揄された。特に、予備車や普通列車用車両まで動員せねばならなかった臨時急行列車や団体専用列車には、このような例が頻々と見られた。
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