暫定最高国民協議会の議長
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「アブドゥル・ハリス・ナスティオン」の記事における「暫定最高国民協議会の議長」の解説
新たな権力を手にしたスハルトは、共産主義者の影響を受けていると考えた政府関係者のパージを開始した。1966年3月18日に15人の閣僚が逮捕され、スハルトは暫定最高国民協議会 (MPRS) でも共産主義者のシンパと思われる議員を失職させ、陸軍に同調的な者を後任にした。このパージによってハエルル・サレが議長職を失ったので、空席となった議長職に誰かを任命する必要が出てきた。 ナスティオンは圧倒的人気があったので、MPRS のすべての会派が彼を議長に推した。すぐにはナスティオンは承諾せず、スハルトがこの人事を支持するのを待ってから、その指名を受け入れた。 6月20日、MPRS 総会が開幕した。ナスティオンは議事の中でもスーパースマルを第一の議題にと考えていた。議事堂に入るときにはその命令書の現物(スカルノの自筆サイン入り)を携えていた。翌6月21日、MPRS はスーパースマルを採択し、スカルノがそれを取り下げるのは違法であると結論づけた。6月22日、スカルノは議事堂で「9原則」(Nawaksara) と題する演説を行なった。ナスティオンをはじめ議員たちはスカルノの口から9月30日運動についての説明が聞けるものと期待していたが、失望させられた。9月30日運動については何も言及されず、その代わりにスカルノが説明したのは、自分が終身大統領に任命されたこと、自分の大統領としての職務にもとづく計画、そしていかに憲法が実効的に機能しているか、ということだった。MPRS はこの演説の採択を拒絶した。 それからの2週間、ナスティオンは MPRS 総会の切り盛りで多忙を極めた。議長として彼が議事進行を進めるなかで、MPRS はマルクス・レーニン主義の禁止、スカルノの終身大統領指名の取り消し、1968年7月までに国会議員選挙を執り行うことが決定された。 MPRS 総会はまた、スハルトに新内閣を組閣するよう正式に命じ、スハルトの権力を強化した。また、大統領が職務を委譲することができない場合には、副大統領ではなく、スーパースマル保持者に職務権限を委譲する、という憲法修正案が可決された。 1966年は時が過ぎるにつれてスカルノの権勢が目に見えて衰え、人気にも翳りが目立った。政治的勝利が近づいていることを知ったスハルトは、上品なジャワ人らしい役割を演じ、スカルノを元気づける声をかけ、スカルノを非難する声から庇うことすらしてみせた。ナスティオンをはじめとする他の将軍たちはそれほど慈悲深くなく、年の暮れが近づくにつれて、ナスティオンはスカルノがインドネシアに招いた大惨事について責任を負うべきであると主張した。ナスティオンはさらに、スカルノを法廷に引きずり出すべきだと要求した。 1967年1月10日、再び MPRS が招集され、スカルノは報告書を提出した(スカルノは自分でそれを演説したのではなかった)。それは9月30日事件について最後の弁明の機会として期待されるものだった。「9原則補遺」と題されたその報告でスカルノは、9月30日運動 (G30S) を10月1日運動 (Gestok) と呼ぶべきだと語り、事件については、PKI が10月1日早朝に大きな誤りを犯したが、それだけが原因ではなく、狡猾な新植民地主義者たちによって招かれたものである、と主張していた。ナスティオンに向けても巧みな一撃が放たれており、スカルノは自分が9月30日運動のことで責めを受けるならば、その時の国防治安大臣も9月30日運動を見過ごし、発生前に阻止できなかったことに責めを負うべきである、と付け加えていた。その報告はまたしても MPRS に拒絶された。 1967年2月には、国会は MPRS の特別審議を3月に開催し、スカルノに代えてスハルトを大統領に任命するよう求めた。スカルノは自らの信念に従って身を引こうとしていたらしく、1967年2月22日、政府の日常業務を公的にスハルトに託し、必要なときだけ自分に報告することをスハルトに求めた。そしてついに、1967年3月12日、MPRS は公式に、スカルノの失職を認めた。ナスティオンはスハルトに大統領代行就任を宣誓させた。 1年後の1968年3月27日、ナスティオンはスハルトの大統領選出のための議会を主宰し、スハルトは正式にインドネシア共和国第二代大統領に就任した。
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