普墺戦争後の増強
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 04:50 UTC 版)
普墺戦争後、イタリア海軍は海軍組織の統合や艦艇の強化を推進し、欧州主要国として恥じぬ戦力を揃えていった。 イタリア海軍は教師役をイギリス海軍にとり、次いで未熟なイタリアの国内産業を活性化すべくイギリスから軍事企業の誘致を次々に行った。その中でもその最たるものがアームストロング社で、技術革新の時代にイギリス最大級の軍事企業の協力が得られたことは大きく、国内企業カステラマーレ造船所で建造し1880年代に相次いで2隻を就役させた装甲艦「ドゥイリオ級」2隻は、前級である「プリンチペ・アメデオ級」の常備排水量5,854トンの約二倍の排水量11,138トンを誇り、主砲は当時世界最大級の艦砲である45 cm(20.4口径)前装式砲を連装砲架で2基4門装備、更に当時の主力艦最速の15ノットを誇るという「地中海最強艦」であった。 これは、フランス海軍が新たに建造していた新型装甲艦「クールベ級」が、イギリス装甲艦を上回る大口径の34 cm単装砲を4門搭載し速力15ノットを発揮するということが様々な情報により判明していたため、これに対抗するにはイギリス装甲艦の模倣では適わないとして、時の海相シモーネ・サン=ボン(英語版)の英断とイタリアの名造船士官ベネデット・ブリンの設計により建造されたのである。 これに対しフランス海軍は、42 cm(22口径)単装砲2基を搭載し自艦の主砲に耐える舷側防御力を持ちながら速力15ノットを発揮する海防戦艦「テリブル級」4隻の建造で応えたが、イタリア海軍は更なる差をつけるために、口径はカイオ・ドゥイリオ級よりやや劣りながらも後装填式の43.1 cm単装砲4門を持ち、舷側装甲を撤去した代償に当時の巡洋艦並みの18ノットの速力を発揮する装甲艦「イタリア級」2隻を建造し、次いでその改良型として舷側装甲を復帰させながら速力17ノットを発揮する「ルッジェーロ・ディ・ラウリア級」3隻を持って、巨砲装甲艦7隻体制で地中海最強艦を有する海軍国家として名を挙げたのである。この時ライバル国家であったオーストリア=ハンガリー帝国も、ドイツ帝国より技術導入を図っていたが、技術導入先のレベル差や建造するドックの能力の低さの為に低火力で小型の軍艦しか造れず、次第に建造艦の質はイタリア優勢となって行った。 この急速な技術革新にはイタリア海軍による貪欲なイギリス技術の導入意欲と、イギリス企業によるテストケースとしての新技術の提供という、伊英双方の利害・目的が一致して多大な成果が発現された物であった。技術提供を行ったイギリス海軍は、フランスの巨砲装甲艦たちに対抗すべく413mm砲2門を持つ装甲艦「ベンボウ」や「ヴィクトリア級」2隻を相次いで建造したが、それができたのもイタリア海軍での技術テストがあってこそである。
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