時雨沈没とは? わかりやすく解説

時雨沈没

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/20 17:05 UTC 版)

さらわく丸」の記事における「時雨沈没」の解説

1945年昭和20年1月24日早朝時雨以下ヒ87A船団タイランド湾マレー半島東岸速力12ノット航行していた。船団さわらく丸を中心にさわらく丸の前方1.5kmに旗艦干珠さわらく丸の左舷右舷)1.5kmに時雨三宅)、さわらく後方1.5kmに第13号海防艦配置されていた。この時、船団は米潜ブラックフィン(USS Blackfin, SS-322)、同ベスゴ(USS Besugo, SS-321)に発見されていた。また同海域は米潜水艦跳梁する難所としてシンガポール方面日本軍航行しないよう心得ていたのだが、ヒ87A船団その事知らされていなかった。0700前、水深60m、風速4m波浪小、雲量10視界3000m気温28度という条件時雨左舷4460mに電探反応認める。まず船団潜水艦警報出そうとしたが電話通じず、時雨電探射撃実行すべく、『肉眼確認した潜水艦』を目標として7時3分に面舵転舵。この運動により、時雨左舷前方位置していたブラックフィンに絶好射点与えることになった時雨に迫る2本の跡を発見した者もいたが、錯覚連絡不備により艦幹部判断変えるには至らなかった。艦長達は、電探捕捉し艦首方向の敵B潜水艦(ブラックフィン)と、肉眼とらえたとされる敵A潜水艦混同していたのである。ブラックフィンは歴戦駆逐艦である時雨撃沈するという大戦果をあげる事になった。0704、時雨は左30度に魚雷発見して面舵回避開始、この魚雷艦尾かすめたという。1分後、4本確認され魚雷のうち魚雷1本が時雨左舷後部命中した急激に傾斜した為、ただちに総員上甲板下令された。0710に総員退去、艦中央部前後分断され時雨は0715に沈没した三宅によれば船団最後尾にいた時雨は敵浮上潜水艦攻撃反転したあと消息をたち、海防艦が後をおいかけると既に沈没していたという。干珠第13号海防艦制圧射撃行った効果がなく、0815-0817、北緯0559東経10348分 / 北緯5.983度 東経103.800度 / 5.983; 103.800の地点で米潜ベスゴさらわく丸向けて魚雷発射魚雷1本がさわら丸に命中したが、幸い不発だったため沈没恐れはなかった。干珠さわらく丸を護衛してシンガポール向かい第13号海防艦三宅時雨乗組員救助あたった時雨沈没地点北緯0600東経10345分 / 北緯6.000度 東経103.750度 / 6.000; 103.750と記録された。時雨戦没により、白露型駆逐艦10全て戦没した。26日シンガポール到着直前さらわく丸アメリカ陸軍航空軍航空敷設した磁気探知機触れて損傷する度重なる損傷満身創痍になりながらも、さらわく丸護衛艦3隻と共に同日シンガポール到着兵員降ろした後第101工作部回航され、修理を受ける。

※この「時雨沈没」の解説は、「さらわく丸」の解説の一部です。
「時雨沈没」を含む「さらわく丸」の記事については、「さらわく丸」の概要を参照ください。

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