昭和劇場(1938-1960s)
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昭和劇場の所在地 .mw-parser-output .tmulti .thumbinner{display:flex;flex-direction:column}.mw-parser-output .tmulti .trow{display:flex;flex-direction:row;clear:left;flex-wrap:wrap;width:100%;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .tmulti .tsingle{margin:1px;float:left}.mw-parser-output .tmulti .theader{clear:both;font-weight:bold;text-align:center;align-self:center;background-color:transparent;width:100%}.mw-parser-output .tmulti .thumbcaption{text-align:left;background-color:transparent}.mw-parser-output .tmulti .text-align-left{text-align:left}.mw-parser-output .tmulti .text-align-right{text-align:right}.mw-parser-output .tmulti .text-align-center{text-align:center}@media all and (max-width:720px){.mw-parser-output .tmulti .thumbinner{width:100%!important;box-sizing:border-box;max-width:none!important;align-items:center}.mw-parser-output .tmulti .trow{justify-content:center}.mw-parser-output .tmulti .tsingle{float:none!important;max-width:100%!important;box-sizing:border-box;text-align:center}.mw-parser-output .tmulti .thumbcaption{text-align:center}} 改築披露興行で訪れた七代目松本幸四郎(左)と五代目市川染五郎(右) その後の大正座は久しく廃業状態だったものの、1938年(昭和13年)4月には梅田辰五郎らによって、買収資本金1万円で昭和劇場株式会社が設立された。昭和劇場株式会社は大正座の建物を改築して昭和劇場に改称し、9月8日と9月9日の2日間には、東京大歌舞伎の七代目松本幸四郎・二代目市川小太夫・五代目市川染五郎・二代目中村芝鶴ら百余名の一座を招いた改築披露興行が行われた。一等席の前売り券は2円70銭であり、両日ともに午後2時に開演している。 挙母劇場は松竹や日活の作品を上映したが、後発の昭和劇場は東宝や大映の作品を上映した。昭和劇場があった竹生通りは豊田市街地の北の入口にあたり、休日には北部の町や村から大勢の観客が自転車で詰めかけた。昭和劇場近くにはうどん屋の大見屋があり、休日の昼飯時にはたいへんな混雑だった。 1951年(昭和26年)3月1日に挙母町が市制施行して挙母市となった時にあった映画館は、昭和劇場と挙母劇場の2館のみである。同年10月28日には挙母市初の近代的映画館としてアート座が開館し、1953年(昭和28年)の挙母市には昭和劇場、アート座、挙母劇場の3館の映画館があった。 トヨタ自動車の企業城下町として発展する挙母市は、1959年(昭和34年)1月1日に市名を豊田市に変更した。全国的に映画館数がピークとなった1960年(昭和35年)の豊田市には、昭和劇場、アート座、挙母劇場の3館の映画館があった。同年の豊橋市には10館、岡崎市には13館、一宮市には14館の映画館があり、これらの都市には大きく水をあけられていた。挙母劇場や昭和劇場の映画上映設備は古く、また新作を早く見ることはできなかった。映画最盛期の豊田市の若者は、名古屋市や岡崎市まで出かけて行って映画を観賞する有様だった。 なお、毘森公園には1954年(昭和29年)に倉知鍬次郎の銅像(三河山鍬次郎翁之像)が建立されている。『映画年鑑 1963年版 別冊 映画便覧 1963』にも昭和劇場の名前が確認できるが、1960年代中頃に閉館した。2018年(平成30年)現在、駐車場となった跡地の一部には東区区民会館が建っている。
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