映画およびミュージカルへの登場
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「アナ・リオノウンズ」の記事における「映画およびミュージカルへの登場」の解説
マーガレット・ランドンのフィクション小説『アンナとシャム王』(1944年)においてリオノウンズの王家での様子が反奴隷制度をテーマに描かれ、アメリカの読者の反響を得た。 1946年、タルボット・ジェニングスとサリー・ベンソンは映画『アンナとシャム王』の脚本を執筆し、アイリーン・ダンとレックス・ハリソンが主演した。1848年、タイの作家セーニー・プラーモートとククリット・プラーモートの兄弟はこの映画を鑑賞してアメリカの政治家で外交官のアボット・ロウ・モファ(1901年–1996年)に感想を送り、1961年、モファの『Mongkut, the King of Siam 』(シャム王ラーマ4世、の意)に引用された。1961年、モファはアメリカ議会図書館にプラーモート兄弟の写本を寄付した。 ランドンは「19世紀半ばのヴィクトリア朝の風変わりな女性旅行者」というリオノウンズのイメージを作り上げた。1951年、ロジャース&ハマースタインによりヒット・ミュージカル『王様と私』が製作され、ガートルード・ローレンスとユル・ブリンナーが主演し、ブロードウェイで1,246回上演され、ロンドンやツアー公演でもヒットした。1956年、映画『王様と私』でデボラ・カーがリオノウンズ役を演じ、ブリンナーが王様役を再演した。1985年にブリンナーが再演するなど何度も再演されており、舞台好きの観客のお気に入りの作品の1つとなっている。 王様がポルカを踊る独裁者としてユーモラスに描かれ、アンナと互いに惹かれ合うなど、タイ王国では無礼であるとの非難が起こり、ロジャース&ハマースタインによるミュージカルおよび映画『王様と私』は政府により禁止された。1946年のレックス・ハリソンがシャム王役を演じた映画『アンナとシャム王』はタイ王国で公開された。しかしイギリスから独立したばかりのインドでは西洋人に侮辱される東洋の王像は許容できないとして禁止されていた。1950年、タイ政府は改めてこの映画の上映を禁じた。ただし書籍の『Romance in the Harem 』、『An English Governess at the Siamese Court 』は禁じられていない。これら2冊はタイ王国の『Humorist 』の作家Ob Chaivasu により翻訳された。 1960年、ラーマ4世のひ孫ラーマ9世がアメリカを訪れた際、側近はミュージカルのレビューを集めたがラーマ4世の描き方は「90%誇張である。曾祖父はとても穏やかで素晴らしい人だった」と語った。1985年、ラーマ9世の妻シリキットがニューヨークを訪れた際、ブリンナーの招待によりブロードウェイにてミュージカル『王様と私』を観劇した。当時の在米タイ大使は作品が受け入れられない理由はほかにもあるとして「エスノセントリズムでシャムという国が子供じみているという侮辱が見え隠れしており、西洋より低く見られている」と語った。 1972年、20世紀フォックスはCBSでミュージカルでないテレビ・ドラマ『Anna and the King 』を製作し、サマンサ・エッガーがリオノウンズ役に配役され、ブリンナーが王様役を再演した。ランドンは自身の作品を「不正確で支離滅裂な描写」にされたとして著作権侵害で製作側を訴えた。この連続ドラマはヒットせず、13回で打ち切りとなった。1999年、ワーナー・ブラザース・アニメーションからミュージカルの曲を使用したアニメ映画『王様と私』が公開された。同年、リオノウンズの複数の書籍から映画化したジョディ・フォスターとチョウ・ユンファ主演の『アンナと王様』が公開された。あるタイの批評家は映画製作者はラーマ4世をカウボーイのように描いていると批判しており、この映画もタイでは禁止されている。 ポール・マーロウの小説『Knights of the Sea 』においてリオノウンズが登場しており、1887年の補欠選挙での女性参政権運動でハリファックスからバデックに向かう女性として描かれている。
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