明石守重とは? わかりやすく解説

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明石全登

(明石守重 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/11 23:01 UTC 版)

明石 全登(あかし てるずみ[6])は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将大名(名前については下記参照)。宇喜多氏の家臣。宣教師を自分の屋敷に住まわせて保護するほどの熱烈なキリシタン武将でもあった。


注釈

  1. ^ 次男、叔父三郎左衛門景季(景行)の養子[異説あり][5]
  2. ^ 嫡男または一説に次男。洗礼名はパウロ[4]
  3. ^ 石川県金沢城調査研究所所員。専門は織豊期政治史。
  4. ^ 後山山麓に明石を名乗る一族がある。祖先は岡山城主宇喜多秀家の老臣だった明石掃部介といわれる。
    「東作誌」を見ると「家伝に曰く掃部介全登大阪より落魄して後山村に来りし時 凌霄花今を盛なるに愛でてついに足を駐むと云う。貯の黄金若干あり田地多く買得し熾なる時は高百八十石もあり 土人等富有なると緩怠なるを悪み 喧嘩に乗じて之を殺す、其旧趾今に喧嘩橋と云う、掃部介の妻子是を聞いて大いに憤怒し眉尖刀(なぎなた)を振出して七人斬殺せる故土人退散す 今其の旧趾を十日の祖母と云う…」とある。

    ~中略~

    元和元年五月七日大阪城落城のときあやうく戦場を脱出し浦上時代より縁故の多い播磨の奥地に匿れ、やがて後山山麓の凌霄花の花盛りに心ひかれて土着し農となり一族各地に繁栄する。

    全登に四男あり。長子は吉野郡讃甘庄今岡村(現美作市下町)に住む(明石屋敷なる地名、石垣あり)俗称義蔵という。豪邁の人物で又俳諧に名を得、蛙我と号す。

    二子、三子は商人となり、四子が後山村にて農耕に従事する。 ~後略~ — 東粟倉村史(現岡山県美作市)より[要出典]
  5. ^ 吉備温故秘録には、和気郡小板屋村(現備前市吉永町今崎)に「明石掃部宅地跡墓もあり。」とある[3]
  6. ^ 如水の母は、明石正風の娘(一説に岩姫)で、小寺政職の養女となって、孝高の父職隆に嫁いだ。播磨明石氏の明石正風とは、通説としては同族であると言われている。
  7. ^ a b 父は浅井政高で、母は海津局浅井明政の娘)。海津局は淀殿の侍女で、海津局・直政は大坂落城のときに千姫に従って脱出した縁で、海津局は淀殿の妹である崇源院に仕え、直政は三好姓に改めて徳川家光に仕えた。月俸百口で、御小姓組の番士だったが、30歳で亡くなった[27]

出典

  1. ^ a b "明石掃部". 日本人名大辞典+Plus. コトバンクより2022年2月9日閲覧
  2. ^ a b 高柳 & 松平 1981, p. 6
  3. ^ a b 吉備群書集成刊行会, p. 145
  4. ^ a b c d e f g h i 小川[要ページ番号]
  5. ^ a b 岡山県閑谷中学校嚶鳴会, p. 2
  6. ^ a b c "明石全登". デジタル版 日本人名大辞典+Plus. コトバンクより2022年3月5日閲覧
  7. ^ 上田正昭・津田秀夫・永原慶二・藤井松一・藤原彰編『コンサイス日本人名辞典 第5版』(株式会社三省堂、2009年)10頁。
  8. ^ 大西 2015[要ページ番号]
  9. ^ 福本 1921, p. 326
  10. ^ 大西泰正「明石掃部」(五野井隆史監修『キリシタン大名―布教・政策・信仰の実相―』宮帯出版社、2017年)484頁
  11. ^ 小川, p. 42-44
  12. ^ a b 福本 1921, p. 325
  13. ^ 岡本[要ページ番号]
  14. ^ 大西 2015, p. 87-88
  15. ^ 大西 2015, p. 92
  16. ^ 大西 2015, p. 93
  17. ^ 大西 2015, p. 101
  18. ^ 大西 2015, p. 91
  19. ^ 大西 2015, p. 116
  20. ^ 大西 2015, p. 117-118
  21. ^ 大西 2015, p. 127
  22. ^ a b 大西 2015, p. 128
  23. ^ a b c d e 福本 1921, p. 335
  24. ^ 小川, p. 240-242
  25. ^ 小川, p. 260‐261
  26. ^ 野添, p. 38
  27. ^ a b c 堀田正敦『国立国会図書館デジタルコレクション 寛政重脩諸家譜. 第4輯』國民圖書、1923年、990頁https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1082713/504 国立国会図書館デジタルコレクション 
  28. ^ 東京大学史料編纂所, 大日本古文書 家わけ第十六 島津家文書之四.
  29. ^ 濱名志松『九州キリシタン新風土記』葦書房、1989年、731頁。 


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