明石内記とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 明石内記の意味・解説 

明石内記

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/15 01:19 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
 
明石内記
時代 安土桃山時代 - 江戸時代前期
生誕 不明
死没 1638年寛永15年)
官位 内記
主君 豊臣秀頼
氏族 明石氏
父母 明石全登
兄弟 小三郎、景行、カタリナ、レジイナ
テンプレートを表示

明石 内記(あかし ないき)は、安土桃山時代から江戸時代前期の武将。父は明石全登

経歴

大坂城落城後は陸奥気仙郡高田村(現在の岩手県陸前高田市)に落ち延び、キリスト教の布教をする。内記は菊池家へ入り、伊出村で鉄砲の製造を行った。1638年寛永15年)幕府は仙台藩に内記の捕縛を命じ、江戸への送還途中、宇都宮で病死(抹殺とも)[1]

脚注

  1. ^ 角川日本姓氏歴史人物大辞典3(岩手県姓氏歴史人物大辞典)

参考文献




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  明石内記のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「明石内記」の関連用語

明石内記のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



明石内記のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの明石内記 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS