日本の風呂とは? わかりやすく解説

日本の風呂

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/15 00:46 UTC 版)

風呂」の記事における「日本の風呂」の解説

もともと日本では神道風習で、川や滝で行われた沐浴一種思われる禊(みそぎ)の慣習古くより行われていたと考えられている。 仏教伝来した時、建立され寺院には湯堂、浴堂とよばれる沐浴のための施設作られた。もともとは僧尼のための施設であったが、仏教においては病を退けて福を招来するものとして入浴奨励され、『仏説温室洗浴衆僧経』と呼ばれる経典存在し施浴によって一般民衆への開放進んだといわれている。特に光明皇后建設指示し貧困層への入浴治療目的としていたといわれる法華寺の浴堂は有名である。当時入浴は湯につかるわけではなく薬草などを入れた湯を沸かしその蒸気を浴堂内取り込んだ蒸し風呂形式であった風呂元来蒸し風呂を指す言葉考えられており、現在の浴槽身体を浸からせるような構造物は、湯屋湯殿などといって区別されていた。 平安時代になると寺院にあった蒸し風呂様式の浴堂の施設上級公家屋敷内取り込む様式現れる。『枕草子』などにも、蒸し風呂様子記述されている。次第宗教的意味薄れ衛生面遊興面での色彩強くなったと考えられている。 鎌倉時代には東大寺復興尽力した重源による施浴にて鉄湯船見られる。これは南都焼討被害受けた大仏殿再建のため巨木求めた重源1186年頃に周防国至り木材伐り出し従事する人夫の為に行われた湯施行である。重源開山した阿弥陀寺の旧湯舟残欠は渡宋経験のある重源南宋知り得たものを国内再現したもので、キッチン・バス工業会ではこれを長州風呂元祖紹介している。現存する鉄湯船1197年大仏鋳造従事していた河内鋳物師草部是助らにより東大寺奉納された物、1290年同じく河内鋳物師山河清による物が成相寺智恩寺みられる浴槽お湯張り、そこに体を浸けるというスタイルいつ頃発生したかは不明である。古くから入れて体を洗う行水というスタイルと、蒸し風呂融合してできたと考えられている。この入浴方法一般化したのは江戸時代入ってからと考えられている。戸棚風呂呼ばれる下半身のみを浴槽に浸からせる風呂登場慶長年間終わり頃に、すえ風呂、または(すい)風呂呼ばれる全身浴槽に浸からせる風呂登場した

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