日本の風土論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/11 13:22 UTC 版)
日本では熱帯的気候と寒帯的気候が共存し、四季の明確な変化、多くの島からなる国土など様々な景観や気候変動をみせる風土から古来より風土観が育まれ、風土は日本人の生活様式や思考様式を探る原点のひとつとして考えられてきた。その風土観は時代によって異なり、古代では自然と人間の未分離のアニミズム的自然観などが見られていたが、中世に入ると仏教に見られる無常観が風土観にも見られるようになり、自然とは「はかないもの」という認識が広まった。近世に入ると封建制社会に中国の儒教的な自然観が加わったのと同時に、各地域の風土性と人間の特質に関する考察が見られるようになった。この時期の風土論として『人国記』(元禄14年(1701年))や『日本水土考』(元禄13年(1700年))などがあり、これらは日本の自然と住民の特質を論じたものである。その後、蘭学の勃興など西洋の考えが風土観にも広がった。明治時代になると風土論を扱った書として内村鑑三の『地人論』(1894年)、志賀重昂の『日本風景論』(1894年)などが生み出された。
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