日本の風葬
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/12 09:05 UTC 版)
日本の中世には、遺骸を棺に入れて木の枝にぶら下げる樹上葬や、屋外に設けられた台の上に棺を放置する台上葬が行われたという伝承が少なからず語られている。樹上葬の例として、『八幡愚童訓』には香椎宮の名の起源について、仲哀天皇の棺を椎の木に掛けておいたところ香を発したために「香椎」と称するようになったという伝承がある。また、中山太郎によれば「棺掛桜」や「人掛松」など、樹上葬の伝説を持つ樹木も存在するという。台上葬の例としては『類聚雑例』に次のような伝承がある。比叡山延暦寺の良明阿闍梨が自分の死後、深山に棚を作り棺を置くように遺言した。棺を置いて数日後、弟子が様子を見に行くと遺骸は無くなり衣服だけが残っていたという。 日本本土では薄葬令(646年)により庶民も定まった墓地に葬むる慣習が定着したため、風葬の習慣は廃れた。近代以降の日本では土葬さらには火葬が殆どとなり、現在は天皇や皇族の一部にみられる棺を地中に埋めず陵内の石室に安置する葬法(殯)が唯一の例外となっている。
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