日本の食堂
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/23 10:07 UTC 版)
江戸時代以前の日本では、食にかかわる空間に関していくつか様式があり、ひとつの様式としては、(農家でも、下級武士の住居でも)一段低い土間に台所があり、女たちがそこに設置されたかまどで薪を使い煮炊きを行い、その土間の隣に一段高い板の間があり、その板の間で家族が正座をして食事をする、という様式の家屋はごく一般的であった。あえて言えば、板の間の台所寄りの空間が食事をとるための空間で、食堂的な空間ということになる。ただしそこは壁によって区切られた独立した部屋ではないので、「食堂」とは呼びがたい。また、食事をしていたこの空間は、容易に座布団などが片付けられ、食事以外の時間では別の目的でも使われ得たので、その意味でも「食堂」とは言いがたい。 明治以後、文明開化はあったが、一般庶民の家庭にすぐに西洋風の生活様式がもたらされたわけではなく、大多数はあいかわらず畳をしきつめた和風の家屋で暮らしていた。一部の人々は西洋風の住宅を作るようになり、当時のヨーロッパやアメリカにあったダイニングルームを模倣して、台所とは独立して(贅沢に)食事専用の部屋を作る人が出てきた。なお、日本の庶民の住宅は狭小住宅が多く、今でも(米国とは異なった、消極的な理由で)台所と食堂を一体化させていること(ダイニング・キッチン)は多い。
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