日本の領有時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/04 08:16 UTC 版)
1855年、日本とロシアとが日露和親条約を結んだ。これにより択捉島より南の4島は日本の領土、得撫島より北の21島はロシアの領土となった。 1875年、日本とロシアとが樺太千島交換条約を結び、千島列島の全島が日本の領土となった。この条約によって、樺太および千島列島の先住民であったアイヌは、3年以内に自身の国籍について日本国籍かロシア国籍かを選ぶことを強要された。さらに千島列島のアイヌがロシア国籍を選んだ場合、千島および日本領から退去してロシア領へ移住することを余儀なくされた。 以後、1945年までは日本(江戸幕府 → 大日本帝国)が統治し、日本国民が居住していた。 1945年(昭和20年)8月15日時点で、人口は北方四島の範囲で17,291人であった。
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