日本の領有以前
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 05:12 UTC 版)
中世以前、北海道やその北に伸びる樺太(サハリン)、東に連なる千島列島(クリル列島)には、日本人(和人)やロシア人よりも古くからアイヌなどの先住民が居住していた。 近世以降、それらの地域と近接する日本とロシアは競って侵略(または進出・征服・植民)を行い、領土を拡張してきた(詳細は関係史節を参照)。 1855年(安政2年)、日本(江戸幕府)とロシア(ロシア帝国)は日露和親条約を結び、択捉島と得撫島の間を国境線とした。この条約により、択捉島、国後島、色丹島、歯舞群島が日本領と規定された。 また、1875年(明治8年)には日本(大日本帝国)とロシア帝国とが樺太千島交換条約を結び、日本は「千島列島」の全域を領有した。
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