日本の女性アイドル史におけるAKB48
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 21:16 UTC 版)
「AKB48」の記事における「日本の女性アイドル史におけるAKB48」の解説
AKB48が登場する以前に、同じく秋元康が1人のスタッフとしてプロデュースに参加しデビューした日本の女性グループアイドルとして、1980年代に活動したおニャン子クラブがある。おニャン子クラブの特徴である、「素人の少女をオーディションで選び、50名前後の大人数グループにする」「(うしろゆびさされ組・うしろ髪ひかれ隊など)数名のメンバーを選んで派生ユニットとして売り出す」「メンバーと同世代ぐらいの若いファンを主なターゲットする」といった点はAKB48にも受け継がれている。おニャン子クラブは『夕やけニャンニャン』をはじめとするテレビ番組を活動の中心としたのに対して、AKB48は専用劇場を持ち劇場公演を主な活動として立ち上げられたプロジェクトであるという点、おニャン子クラブが新しいメンバーが加わることがなかったのに対してAKB48は「従来メンバー卒業、新入生加入」の新陳代謝があるという点で異なっており、おニャン子クラブは番組の視聴率の低下に伴ってデビューから2年ほどで解散したが、AKB48は2005年の結成から16年を経た2022年現在も活動を継続している。また、おニャン子クラブはメンバーがオーディションを通過してデビューしていくさまをテレビで放送することによって、「舞台裏」の様子を視聴者に公開してリアリティをアピールするという手法をとりながらも審査や放送内容を運営サイドがある程度コントロールすることが可能だったのに対して、AKB48は2009年後半ごろまでは、それほど積極的にはテレビ番組に出演しておらず、「会いに行けるアイドル」というコンセプトの通りにテレビ番組という中間項をも排除してファンとアイドルの間の距離を極限まで縮めたといえる。 おニャン子クラブの解散後、決定的な人気を獲得する女性アイドルがなかなか登場しないアイドル冬の時代や1997年から現在まで活動を継続しているモーニング娘。などのヒットを経て、地下アイドル文化を背景にその手法を導入する形式で2005年にAKB48が結成される。AKB48の初期のファンにはモーニング娘。(あるいはそれを含むハロー!プロジェクト)のファンが流入したとみられるため、AKB48が人気を博した理由としてモーニング娘。が10年以上も解散せずに活動を持続していることがあるという見解もある。 2009年ごろにAKB48が爆発的にヒットしたのに少し遅れて、日本ではKARAや少女時代をはじめとする韓国のK-POPガールズユニットが人気を獲得している。AKB48が「成長する過程をファンに見せる」ことをコンセプトの1つとしているのに対し、K-POPの女性アイドルユニットの多くはデビューまでの間に数年単位の練習期間を設定しており、初舞台の段階から完成度の高いパフォーマンスを披露できるという点が異なる。秋元康は、K-POPのガールズユニットが常に一定のクオリティを保持し続けられることをプロとして評価できるとしつつ、対照的にAKB48の魅力はどのタイミングでも同じAKB48は存在しないことであると述べている。 コラムニストの中森明夫は、「アイドルは時代の反映ではなく、時代の先取りである」との持論がAKB48にも適用できるとしている。すなわち、美空ひばりが「戦後の高度経済成長」、山口百恵が「経済の低成長時代」、松田聖子が「バブル景気」をそれぞれ先取りしたのと同様に、AKB48は従来的なモデルでは経済復興が困難な日本でいかに楽しむか、というテーマを先取りしたという見解を示している。
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