成長時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/12/10 21:29 UTC 版)
「キンブル郡 (テキサス州)」の記事における「成長時代」の解説
1870年にキンブル郡の人口は72人だったが1880年に1,343人に増えた。1878年、郡庁舎がジャンクションシティに建設された。この建物は1884年の火事で、郡の記録ともども焼失した。2代目の郡庁は2階建て石造りだったが1888年の火事で一部損傷を受けた。これを修復して使い続け、1929年に現在の郡庁舎が建てられるまで使われていた。1890年の国勢調査では人口2,243人、農園と牧場は279だった。牛と羊の飼育が郡経済を支配するようになった。1894年、郡庁所在地のジャンクションシティが単にジャンクションと呼ばれるようになった。 20世紀初期もキンブル郡は成長を続けた。1900年の人口は2,503人だった。20世紀に入って、以前にはなかった快適さが多く備わるようになった。1904年、フォーマイル・ダムが完工した。1905年に最初の電話が引かれ、一年後には最初の銀行ができた。1917年には電灯が灯され、その後間もなくガソリンスタンドができた。 1919年、砂利道と舗装道路を建設するための資金について郡全体の住民投票で承認された。テキサス州道27号線は1922年まで舗装されていなかった。この道路はジャンクション市を通っており、南東のカービルと西のソノラを繋いだ。州道4号線と29号線も使えるようになった。州道29号線は1930年までにロンドンとテレグラフの町に通じた。1940年代にはキンブル郡の道路が全て舗装された。古い4号線と27号線がアメリカ国道83号線となり、州道27号線はアメリカ国道290号線に、州道29号線はアメリカ国道377号線になった。 1927年、ジャンクションの町が公式に法人化された。1920年代後半、毛糸とモヘアの生産では州内最大級の郡になった。様々な農産物が郡の経済を支え続けた。 世界恐慌の時代には郡内の失業率が増加したが、1930年代も人口は増え続け、1940年には5,064人になった。1945年4月には田園部に電気が引かれた。1940年代半ば、少量の石油生産が始まり、砂、砂利、ガスも少量ながら生産されて、郡の経済が多様化した。
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