日本の女医の歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/29 19:25 UTC 版)
平安時代に記された令義解には、「女医」の語が見え、女医が規定されていた。女医 (律令制)を参照のこと。 1875年に法制化された医術開業試験制度がなかった時代から、榎本住(1816年 - 1893年)ほか何人かの女性医師が開業していたが、同試験に基づいて国家資格を取得した日本人女性初の医師は、1885年に合格した荻野吟子である。荻野以後、1886年に生沢くの、1887年に高橋みつが合格して開業し、明治末年までに日本国内で医籍に登録された女性医師は、外国人を含めて約240名がいた。 1903年に医籍登録した福岡出身の井上トモは、クリーヴランド医大からミシガン大学医学部を卒業して日本で開業していたが、1912年に極東旅行をしたミシガン大学理事のレヴィ・ルイス・バーバー (Levi Lewis Barbour) は中国で働く同大出身のアメリカ人女医や日本の井上のことを知り、帰国後は同大にアジア女性のための奨学金制度(バーバースカラシップ)を設立した。
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