日本の名字
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 15:03 UTC 版)
日本の名字は、元来「名字(なあざな)」と呼ばれ、中国から日本に入ってきた「字(あざな)」の一種であったと思われる。公卿などは早くから邸宅のある地名を称号としていたが、これが公家・武家における名字として発展していった。近世以降、「苗字」と書くようになったが、戦後は当用漢字で「苗」の読みに「ミョウ」が加えられなかったため@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}再び「名字」と書くのが一般になった[要出典]。以下の文では表記を統一するため固有名、法令名、書籍名を除き「名字」と記載する。 「名字」と「姓」又は「氏」はかつて別ものであった。たとえば、清和源氏新田氏流を自称した徳川家康の場合は、「徳川次郎三郎源朝臣家康」あるいは「源朝臣徳川次郎三郎家康」となり、「徳川」が「名字」、「次郎三郎」が「通称」、「源」が「氏(うじ)」ないし「姓(本姓)」、「朝臣」が「姓(カバネ)」(古代に存在した家の家格)、「家康」が「諱(いみな)」(本名、実名)になる。 日本での名字の数は、たとえば「斎藤」と「斉藤」を別として数え、たとえば「河野」の読み方を「こうの」と「かわの」で区別して別に数えるなどという方法をとれば、一説には「20万種にも達する」などとも言われるが、「20万種は多すぎる、実際には10万種ほどだろう」という見解を示す人もいて、正確な推定は難しい。それでも世界的に見れば多いほうである。これほど名字の数が増えた理由の一つとして、日本人は他国・他地域の人々と比べて「同族」という意識よりも「家」の意識を重要視したので、同族であってもあえて名字を変えて「家」を明確にしたり、地名を用いて「家」を明らかにしたりしたことがある。また明治時代の明治新政府が、国民に名字を持つことを義務付け、その結果、庶民はそれまでもともと通称として持っていた名字をその機会に名乗ったり、またそれまでの名字を変えて名乗ったりしたので、明治時代に一気に名字の数が増えた、ということもある。一説によると、幕末期と明治期を比べると、一気に数倍に増えたと言う。 日本人の名字の由来は、様々な分類法があるが、次のように分類することもできる。 地名に由来 渡辺、高橋、佐々木、石川、長谷川、三浦、千葉など 地形・風景に由来 山本、山田、森、池田など 方位・位置関係に由来 東、西、北、南、喜多、辰巳、乾など 職業に由来 服部、鍛冶、庄司、東海林、犬飼、鵜飼、公文など 藤原氏に由来(ただしその多くは藤原氏と血縁的関係にないと考えられる) 佐藤、伊藤、安藤、加藤など
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