日本の呪術から
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/12/29 23:51 UTC 版)
民俗学者の小松和彦は、著書の中で邪術を「物質的、具体的な方法で神秘的力を発動させ、相手に災厄を与えるもの」と定義し、「術者が能動的に行える」点で妖術と区別ができる、とした上で、物部村方言における「呪詛(スソ と発音する)」が、人形に釘を打つ、写真に針を刺す等ある種の手続きで発動する呪術と共に、文化人類学でいう妖術を指す語であったり、犬神に憑依という現象に対する、太夫(ごくまれに犬神憑きから犬神遣いに「昇格」する者がいる)の説明が、「修行の足りない博士」である等、邪術と妖術の区別がほぼつかないとしている。 また、高知県香美郡物部村の、いざなぎ流とよばれる呪術の中に、相手へ「式を打ち」倒す因縁調伏と呼ばれる邪術的なものがあり、博士(ハカショ)と呼ばれる祈祷師は一応行うことができるものの、「返り(かやり)の風」とよばれる現象によって、依頼者に術が跳ね返り死ぬなどの被害があるとして、なかなかやりたがらない、という。また、彼ら太夫(祈祷師を指す一般名詞)は主に、神からの罰(お叱りとよばれる)によって興る病気を治す(祝い直し とよばれる)など、呪医としての機能もみられる。その際邪術を実行するために使われる(といわれる)式神で、病気の原因を出す ということになっている。 いざなぎ流に影響を与えた陰陽道そのものも、典薬寮に於いて呪禁師が興した厭魅、蠱毒と呼ばれる術を修め、時折使っていたらしい。ただ、陰陽師も、呪禁師が表向き病気の治療を行ったと同様、依頼者を災厄から守ったり、病気の治療を行ったりしたらしい。
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