日本におけるレーヨンとは? わかりやすく解説

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日本におけるレーヨン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/10 09:19 UTC 版)

レーヨン」の記事における「日本におけるレーヨン」の解説

日本においては明治時代末期において東京の糸商西田兵衛西田商店京都の糸商藤井彦四郎藤井彦四郎商店フランスシャルドネ社やドイツのグランツストフ社からの輸入契約結んだことに始まる。1905年明治38年)に神戸税関人工絹糸通関されたのが税関統計記録されている。ただし、この時の商品レーヨン人工絹糸ではなく中間生成物であるビスコースだとする文献京都横田商会1回のみの輸入した際の記録とする文献などもあり、日本におけるレーヨンの輸入第1号あるかの確証はない。いずれにせよ西田藤井両者日本国内におけるレーヨン需要拡大普及大きく寄与した。 なお、レーヨン=アーティフィシャル・シルク(人工絹糸)に対し、「人造絹糸」の訳語命名したのは藤井彦四郎であると1926年大正15年3月18日中外商業新報で「人造絹糸という名称の起源に就て」として紹介されている。 日本最初レーヨン製造国産化の試みは、鈴木商店大株主となった日本セルロイド人造絹糸株式会社であり、これには三菱財閥岩井産業出資をしていたが、ドイツJ・Pベンベルグドイツ語版)社の技術導入交渉中に鈴木商店大損失を被ったために、レーヨン製造計画中止となっている。この当時ヨーロッパニトロセルロースからのレーヨン糸や銅アンモニアレーヨンから、ビスコースによる製法へと転換をしており、ビスコースによる製造メーカー国際カルテル組織し特許権などの共同管理をおこなっていたため、日本への技術導入見込なくなっていた。 1915年大正4年)には中島次郎日本初め銅アンモニアレーヨン製造実験成功し三重県松阪中島人造絹絲製造所設立し製造開始する中島同年11月大正天皇即位大典製品献納することもしたが資本的に恵まれなかったため生産小規模大成しなかった。 一方鈴木商店1914年ビスコース法によって実験的製造成功した久村清太着目資金バックアップ行い1915年には東レザー1917年、東工業改称分工場 米沢人造絹糸製造所設立され日本初ビスコースレーヨン糸の試験生産開始した。この工場1918年大正7年)に独立し帝国人造絹絲株式会社帝人前身)となる。 1914年にはヨーロッパで第一次世界大戦勃発しており、日本レーヨン糸の輸入支障起き価格騰貴レーヨン工業は高収益上げ得る環境生まれたこのため1916年から1921年にかけて前述帝人をはじめ8社ほどレーヨン製造会社続々設立される。しかし、第一次世界大戦終息すると戦争景気からの反動レーヨン糸の価格暴落する。この暴落に伴う日本レーヨン製造業再編成生き延びたのは旭絹織(後の旭化成)、三重人造絹絲東京人絹絲の3社であった

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「日本におけるレーヨン」を含む「レーヨン」の記事については、「レーヨン」の概要を参照ください。

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