日本での普及と発展
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/12 04:50 UTC 版)
詳細は「日本のワインの歴史」を参照 日本に最初にワインが伝来した記録は「後法興院記」で、1483年 (文明15年)に、関白近衛家の人物がワインを飲んだという記述がある。日本で最初のワイン製造に関する記録は、江戸時代初期の1628年、豊前小倉藩主の細川忠利が家臣である上田太郎右衛門にワイン造りを命じたという記述があるが、その後の鎖国政策等で日本にワイン製造の文化が根付くことは無かった。 日本で本格的にワイン生産が行われるようになったのは、明治時代に入り、文明開化を受けて洋風文化を積極的に取り入れるようになったことに起因する。これに先駆けて山梨県(旧甲斐国)では江戸時代後期には既に勝沼村(甲州市勝沼町)の一部地域において、商品作物としての甲州葡萄の栽培が主に生食用として行われていた。江戸時代末、これらを元に、甲府在住の山田宥教と詫間憲久の二人の共同出資によってワインの醸造を行ったのが日本の近代的なワイン醸造の先駆けとされている。 その後、殖産興業政策の一環として山梨県ではワイン製造が奨励され、1877年 (明治10年)「大日本山梨葡萄酒会社」が設立された。当初は山梨を中心にアメリカ系のブドウ品種 (主に白ワイン品種としてデラウェアや、赤ワイン品種としてアジロン・ダック)の栽培が中心であったが、その後、国策によって味わいがより優れたヨーロッパ品種が全国に導入された。しかし、フィロキセラ感染による農地荒廃が起き、1885年 (明治18年)に日本のワイン製造の歴史は頓挫した。当時、アメリカ種に拠っていた山梨県だけがこの禍から逃れることができたことが、今日、ワイン製造の文化が最も根付いた地域に成長した礎となった。 戦後、生産に適した地域ではある程度の規模をもったワイン醸造が民生用として再開されたが、輸入果汁や輸入ワインに頼る部分も多く、国内需要も伸びないまま、国内ワインは発展途上と言われ評価は低かった。日本人の嗜好としては、当初はワインの酸味や渋味が全く受け入れられず、長らく蜂蜜など糖分を加えた甘口ワインが主流であり、サントリーの「赤玉ポートワイン」や「ハチブドー酒」のような甘味果実酒であった。 その後、1964年の東京オリンピック や1970年の大阪万博 をきっかけに、本格的なワインに対する一般の認知度が高まり、消費量が伸びていった。国内ワイナリーは欧州に倣った垣根式栽培法を取り入れ、害虫に強いヨーロッパ系新種のブドウ栽培を開始した。その他にも洋酒に関する輸入関税の緩和、食文化の多様化によるブームなどの要因もあり、一過性の増減はあるものの、ワイン需要は伸び続けている。近年、純国内栽培によるワインも生産されるようになり、国際的な評価も高まっている。2002年からは、山梨県が主導して「国産のぶどうを100パーセント使用して造った日本産ワイン」を対象とする国産ワインコンクール(2015年からは日本ワインコンクールと改称)が始まった。
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